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2011年11月 1日 (火)

医療と教育

 まずこちらのブログをご覧ください。

今こそ、教師だって労働者

今回は白塗り兄ちゃんもキリンも出てきません(さすがにくどい)。

私がうだうだ書くより、引用したほうが早く的確なので引用します。

世の中には、「教育問題」という厳然たるカテゴリーがあるようです。そして、この「教育問題」にいったん放り込まれると、そのものすごい磁場に巻き込まれて、それ以外の視点はなかなか見えなくなるようです。

この本も、本屋さんでは「教育問題」のコーナーに並べられるのでしょう。

しかし、ここで描かれている教師たちの姿は、ブラック企業で身をすり減らし、心を病み、自殺に追い込まれていくあの労働者たちとほとんど変わらないように見えます。

そう、これは何よりもまず「労働問題」、教師という名の労働者たちの限りなくブラックに近づいていく労働環境について問題を提起した本と言うべきでしょう。

 「なぜ教員である私がデモを起こすのか」という記事でも書きましたが、教員の置かれている環境はブラック企業のそれと変わらないと言えるでしょう。あの記事で触れた「教員特別手当」ですが、本来これは家庭訪問や生徒指導が緊急に必要になる場合があるという、教職ならでは生じる超過勤務に対して充てられるものです。しかし、教員の勤務の実態は、急を要する出来事がなくとも毎日残業しなければ到底最低限の学校運営もままなりません。これは勤務時間というより、単純に仕事の質や量に対する人員の比率の問題でしょう。もしそうした人員配置に教育的な有効性があるなら、それも踏まえてバランスを考える余地があると思います。しかし、実際にはただ人件費を抑えたいという動機によってこのような無茶な人員配置が続けられてきました。その点はもはやブラック企業と全く同じと言っていいでしょう。このような実態は学校だけでなく、様々な公的機関の職員にも当てはまります。財政支出を抑えるための人員削減は世間には歓迎され、官製ブラック企業を生み出します。

 これは医療従事者にも当てはまると思います。勤務医と開業医では実態がだいぶ異なるでしょうが、一般的に医師は激務であると聞きます。私は医師と教員の労働環境が劣悪であることには共通点があると考えています。

 「医は仁術なり」というように、医療に従事する人には高い倫理観が求められます。それは人の命を扱う職業である以上、当然のことではあるのですが、その背景のみが非合理に強調されているのではないでしょうか。人々は、患者のために身を粉にして尽くす医師の姿を美しいものと歓迎します。もちろんそれは美しいものです。それは否定しません。ですが、それを手放しに歓迎する風潮は、すべての医師にそのような献身を求めるような労働環境を作ってきたのではないでしょうか。

 教師も医師と同様「先生」と呼称される職業であり、かつては聖職者などと呼ばれていました。そして教師自身もそれを誇りとし、質の高い教育を求め邁進する糧としていました。私はそれ自体を否定したいのではありません。それによって生じる弊害にも目を向けてほしいのです。

 医療も教育も社会の根幹をなす分野です。現在、それらは現場の人間のオーバーワークによって成り立っています。これがどれほど異常なことか、ご理解いただけるでしょうか。一部の人間の良心や情熱に依存して成り立つ社会など、あまりにも幼稚であると私は考えています。こういうと、「ではそれを改善する(職員を増員する)のに必要な財源はどうするんだ?」という反論が予想されます。それに関しては、健全な社会を形成するための必要経費として当然支払うべきものだと、私ははっきり言い切ります。私は、自分に子どもがいたとしたら、過労で倒れそうな教員に教育を任せたくないし、不眠でフラフラな医師に自分の外科手術を任せたくないのです。

 こんなことを言うと「それでも教師か!」「嫌なら辞めちまえ!」「本当に情熱や愛情があるなら辛くても耐えられるはずだ!」なんていう批判が飛んできそうです。炎上覚悟でいえば、いつまでも古臭い人間観や職業観に縛られていては、社会全体が疲弊し、いずれは衰退するでしょう。若い世代は根性がないとか、気持ちが足りないとかいう声も聞こえてきそうですが、今は社会情勢自体がそれほど困窮しているのです。精神論で乗り切れる事態ではないのです。いい加減合理的に対処しなければ、苦しむ人を徒に増やすだけです。

 また、教育や医療に従事する当事者から声を上げにくいことにも、いくつか背景があるでしょう。一つは同僚(多くはベテラン)に、上記のような職業観を内面化している人が少なからずおり、分断支配が生じていることです。もう一つは、声を上げる労力を惜しむほど疲弊していることでしょう。学校では、教員の仕事が滞れば生徒の成績や進路に支障が出る場合もあり、失敗や落ちが許されない局面があります。病院では、医師の過失はそれこそ患者の命に関わります。ストライキによる抗議という手段も封じられていると言えるでしょう。

 もちろん、これらの職業に就くものには高い徳が求められることは当然のことといえます。そのことを否定するつもりはありませんし、私自身も肝に命じて職務にあたる所存です。しかし、どんなに徳の高い人物であっても、コンディションが整わなければその徳を十分に発揮することはできません。結局のところ、現場では長時間勤務に耐えられるか否かという面で徳が計られ、人格的にも評価の目にさらされます。本来徳とは、質や密度の問題であり、量で計れるものではないはずです。

 書いているうちに感情的になり、本来書くはずだったものと違うものができてしまいました。しかし、理屈ばかりではなく、血の通った生身の人間の声を届けるのがデモであるというスタンスも忘れたくないのです。

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コメント

もっと先生のブログを注意深く読むべきでした。この前は重複した事ばかりメールでしてしまいすいませんでした。

ただメールでのやりとりで先生のおかれている立場や現状等がブログよりもひしひしと伝わってきました。

sen-daくんの応援はとても心強いですよ。
今後ともよろしくお願いします。

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