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2012年1月

2012年1月22日 (日)

映画「ヘアスプレー」を観て

 何やら、小学生の作文のようなタイトルですね。前々から気になっていた映画なのですが、きっかけがないとなかなか手が出ないものですよね。予定がキャンセルになったので本当に軽い気持ちでレンタルしてみたら、これが素晴らしい作品ではないですか!!!デモをやって以来よく考えていた「社会を良くする活動自体を自由に楽しくできないだろうか」「オシャレでポップな活動は世間に受け入れられるだろうか」という問いに対するヒントがいたるところにちりばめられていたのです。また単純にエンタテインメントとしても質が高く、たくさん笑って前向きな気分になれる作品です。

 あらすじは公式サイトからどうぞ。

 新しいシンデレラストーリーの在り方だな~と思っていたら、作中にデモ行進のシーンが出てくるではないですか!?そこでは当然のように不当逮捕やメディアによる情報の歪曲が描かれており、アメリカ人の歴史観に60年代の人種問題解消の経緯がしっかりと根付いていることがうかがえました。公権力が完全に信用できるものではないということを、彼らは歴史からしっかり学んでいるようです(もちろん全ての人がそうではありませんが)。

 いきなりカタい話から始めてしまいましたが、この作品にはより良い人間観や社会の在り方を示すためのメッセージがあらゆる側面から発せられています。まず初めにヒロインのトレーシーですが、公式サイトに説明があるとおり、かなりBIGサイズです。これまでにも太った女性をヒロインとして扱った作品はあるでしょうし、女性の「美しさ」に対するあくなき探究心も多くの映画で描かれてきました。しかしこのトレーシーは、作中で「痩せたい」「綺麗になりたい」と一言も言いません。彼女は、スターになるという夢を叶えるうえで太っていることが障壁になると微塵も思っていません。「太っているより痩せている方が良い」という価値観から、彼女は初めから自由です。開き直っているわけではなく、太っていることも含めて自分が魅力的であると初めから信じているのです。
 また老化や加齢の問題についても、この作品は明るい展望を示してくれます。ライバルの母親の策略によりヒロインの両親の関係が危機を迎えるシーンがあるのですが、それを克服して関係を修復していく過程が素晴らしいのです。互いの老いを肯定的に捉えなおし、それを絆を深める材料にしてしまうのです。ここでも「年を取っているより若い方がいい」という価値観はいとも簡単に相対化されています。このように、この作品にはみんなが当たり前だと思っている価値の逆転がいたるところに見られます。例えば、番組の花形シンガーとトレーシーは最後にはめでたく結ばれるわけですが(いきなりネタばれ!)、これまで男性の主人公が頑張ったご褒美としてお目当ての女性(多くの場合はいわゆる美女)を獲得する作品はたくさんありましたが、この作品ではイケメン男性が「ご褒美役」を担っています。
 これまでは「美女と野獣」に代表されるように、大きなマイナスポイントやコンプレックスを負った主人公がそれを克服することで幸せをつかむ作品が主流であったように思います。しかし、最近では「そもそも美しいってなによ。かっこいいってなによ。賢いってなによ。」という具合に、固定化された価値観を相対化する作品を多く目にするようになりました。例えば、同じディズニー映画の「シュレック」は醜い怪物のまま幸せを手に入れ、ジム・キャリー主演の「イエスマン」のヒロインはいわゆるメインストリームから外れた生き方を志向しています。もちろんそういう生き方をしていた人はこれまでにも存在したでしょうが、そこにスポットを当てるようになったことは極めて現代的だと思います
 そして、この作品には「古い価値観を脱ぎ捨て、新しい生き方をしよう」というメッセージが随所に見られます。テレビに出演したことで有名になったトレーシーが母親をエージェントに任命しようとした際、母親は長いこと家にこもって仕事をしてきたことを理由にしりごみします(母親は太っていることに大きなコンプレックスを感じている人物として描かれている)。そんな母親にトレーシーは"It's changing out there. You'll like it. People who are different. Their time is coming."と言ってその気にさせます。そしてTV番組のオーディションを受けに行って番組の責任者が白人至上主義に基づく発言をした際には、「差別反対!今はニューフロンティア時代でしょ?」と言います。これは1960年のケネディが大統領選挙出馬に際して発表したスローガンですが、現代にも通じるメッセージとしても受け取ることができます。まさにグローバリズムに伴う標準社会の消失を受けて、それぞれの価値観を持って生きようというメッセージだと受け取ることができます。これまでにも人権問題の解決に様々な知恵が絞られてきました。現代においては、ディサビリティーそのものを克服するではなく、強弱、優劣という序列そのものをなくしてしまう戦略が有効になるという状況を反映していると言えるでしょう

 そして、この作品で主題となっているのは、黒人に対する差別の問題です。作品の舞台は60年代ですが、その表現の手法は非常に現代的だと感じました。主人公のトレーシーは正義感や道徳心をきっかけに差別の問題に関わるわけではありません。彼女は授業に遅刻した罰として居残りクラスに行くことになり、そこでTV番組に出演している黒人の少年と知り合います。そして単純に彼らのカッコいいダンスに惹かれ、仲良くなっていきます。そして彼らが番組の中で差別的な扱いを受けていることを知り、自然な流れで番組に対する抗議活動に参加するのです。政治的な信条の前にまず大切な人との関係があるのです。そこで描かれているのは、力を持つ白人がか弱き弱者を救う構図ではなく、異質なもの同士が関わることで双方が刺激を受け変わっていく過程です
 引っ込み思案だったママをゴージャスに変身させるメイクアップアーティストたちが黒人であったことも印象的です。まるでダンボがカラスたちに励まされるシーンのようです。単純な優劣ではなく、異文化理解の過程は刺激的で楽しいものなのです。白人の主人公たちにとっては、黒人たちと遊ぶことは「イカした」「ススんでいる」こととして描かれています。ここにこれからの社会運動を成功させるヒントが込められているように感じます。

 そして、この作品でなにより特徴的だと感じたのは、人種差別という非常に社会的な問題と老いや美醜というこれまで個人的な問題とされてきた事柄をほぼ同列に扱っていることです。人によっては「おバカなミュージカルに黒人差別の問題をとってつけたようだ」と思うかもしれません。しかし、私はこのことをポジティブに評価したいと思います。例えば、ラディカル・フェミニズムには「個人的なことは政治的なこと」というスローガンがありますが、私はその区別自体をもっと弱めるべきだと思っています。もっと個人と社会の距離を縮めて考えるべきだと思っています。社会の変化が個人の生活へ与える影響の大きさをもっと評価するべきだと思うのです。ある社会運動に関わるのであれば、例えば制度の変革だけで満足するのではなく、それが個人の幸福にちゃんと結びついたのかまでしっかり検証するべきだと思うのです。「政治的なことは個人の幸福に深く結びついている」という視点に立つこと。社会の変革はあくまで手段であり、目的はそこに生きる人の幸福であるからです。私はその意味で、個人的な問題とされてきたことと人種差別という大きな社会問題を同列に表現することの意味は大きいと思っています。ある個人からしたら、黒人として差別されることと容姿が美しくないことによって受ける不利益に差はないと思うのです。悩みにはそれぞれの重さがあり、単純に比較することはできないと思うのです。

 長くなりましたが、この作品はとにかく「時代」というものを意識しているということを強調しておきたいと思います。60年代の出来事を描いておきながら、その手法は現代を意識したものであり、社会問題の解消とエンタテインメントの融合という非常に前向きな具体例を示してくれています。なにもフォークやロックに縛る必要はないのです。

 ヒロインの父親はデモに向かう娘にこう言います。「正しい行いをするのなら、年寄りの言うことは聞かなくていい。私たちは玄関のあたりまでしか見てこなかったが、お前はもっと広い世の中を見ようとしている。これからは私たちがお前から学ぶよ」。そして物語の終盤、ミスヘアスプレーを決する生放送は来るはずのないトレーシーや黒人たちの乱入で主催者の企画をぶち壊していきます。それでも番組は大盛り上がり。慌てる主催者に司会者が一言

"This is the future."

 この作品は3学期の最後に2年生に見せようと思います。もちろん英語の一環としてね。Q崎さんの楽しい反抗のはじまりだ!その時の授業は欠席するなよ!一生後悔するぜ!

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