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2012年2月25日 (土)

僕たちはリア充を社会運動に巻き込むことができない。 But, we wanna build an effective social movement in Japan.

 相変わらず長いタイトルが好きなQ崎です。今回のテーマは「いかにしてリア充を社会運動に巻き込むか」です。なら記事のタイトルもそれにすればいいじゃないかとお思いかもしれませんが、これもリア充にすり寄る一つの手段です。私は社会運動を本当に効果的なものにするためには、リア充に支持される社会運動を作る必要があると考えています。

 では、そもそも「リア充」とはどのような人達のことをいうのでしょう。「リア充」とはもともとネットスラングであり、日夜ネットの世界に入り浸る人達が「リアルの生活が充実している人たち」のことを妬みを込めて呼び始めたことが起源であると言われています。

こちらにわかりやすい解説が載っています。

スラングであるため明確な定義はありませんが、私はリア充を以下のような性質を持つ人たちだと考えています。
・流行に敏感で、社会で多数派とみなされる価値観にすぐに染まるとこができる
・コミュニケーション能力が高く、社交的である
・自信があり、現在の生活に満足している

ざっくり挙げてみてこんな感じですが、やはり明確な定義のないものなので「私は違うと思う」と感じる人もいるかもしれません。とりあえず今回の記事では、リア充を以上の性質を持つ人たちと定義したいと思います。

 さて、リア充を社会運動に巻き込む手法を考える前に、なぜ効果的な社会運動を行うためにリア充の支持を得ることが必要なのかを述べたいと思います。第一の理由は、リア充が多数派を志向する集団だからです。リア充の支持を得ることはすなわち「一般ウケ」を狙うことであり、社会運動を多くの人の目に触れるものにすることを目指すことになります。第二の理由は、リア充はそもそも社会運動に巻き込むのが難しい層であり、そういった層を巻き込むための手法を考えることは、あらゆる層に属する人達を社会運動に巻き込むのに有効な手法を得るためのヒントを生むことになるからです。
 リア充を社会運動に巻き込むのが難しいのは、彼らが「自信があり、現在の生活に満足している」からです。それはリア充が様々な社会問題の当事者ではないか、当事者であっても問題意識を持っていないことを意味します。例えば労働問題においては、過労に苦しみながらも「苦労を乗り越えるカッコいい自分」という美化された自己像を持つことにより満足感を得ている人も少なからず存在すると考えられます(「オワニー」参照)。労使関係において経営者の権力が肥大化した現在においては、社員が企業の要求に従うことが「社会で多数派とみなされる価値観」となっていますしね。以上のことを考慮すると、リア充とは「社会運動に参画する動機を持たない層」「社会問題に関心を持たない層」と言い換えることができます。では次に、そういった層を社会運動に巻き込む手法を具体的に考えていきたいと思います。

 現在のこの社会の状況として、そういった層が多数派を占めており、社会運動に参画する人は「真面目すぎる」「変わった人達」と多くの人の目に映っているという事実を正しく認識することが、本当に効果的な社会運動の手法を模索する第一歩であると考えています。そして、多くの人は自分の自由な時間やお金を「正しさ」のために使うことはなく、彼らを社会運動に巻き込むには動機となる他の要素をプラスする必要があると考えられます。それは「楽しさ」であったり「流行」であったり、とにかく彼らに社会問題への関心を持ってもらうきっかけとなる「エサ」が必要となります。
 例えばマンガや映画などでも、気軽に楽しめる娯楽作品だと思って観たら、じつは深刻な社会問題へのメッセージが込められた作品でびっくりしたとか、そんな経験はありませんか?私の場合はそれが「ヘアスプレー」だったわけですが。初めからストレートに問題意識を喚起するようなドキュメンタリー作品は、観た人に強いインパクトを残し、その後の人生を大きく変えてしまうほどの影響を持つことさえあります。しかし、そういった作品はそもそも取り上げられている社会問題に関心のある人しか観ようと思いません。ある意味では、初めから門戸が狭められていると言えます。その点、娯楽作品を装った社会派の作品は多くの人に関心を持つきっかけを与えることができます。もちろんそれはきっかけに過ぎず、1人1人の心に訴えかける力は強くありません。しかし、「こんなメッセージが込められていたのか!」と気付いた時の衝撃は大きく、視聴者を「いい意味で裏切る」作品が高く評価されることもあります。アニメ作品の「交響詩篇 エウレカセブン」やアクション映画の「ブラッド・ダイヤモンド」はその好例と言えるでしょう。また、チャールズ・チャップリンはその先駆者として歴史に名を残していますね。

 そのような作品の存在を知り、私は「社会運動にもそのような手法を取るものがあっていいはずだ」と思うようになりました。脱原発にしろ就活にしろ反格差にしろ、理念を見れば素晴らしいものでも、それが多くの人の心をつかめないでいるのは非常にもったいないと思っています。そこで、社会運動に娯楽性をもっと盛り込んでいこうという提案をしたいと思います。もちろん真面目な社会運動が大切であることに変わりはないので、今の盛り上がりを維持していくべきだと思います。そういった活動を盛り上げる手段として「むしろ娯楽がメイン」「8割エサ」くらいの社会運動があってもいいと思うのです。「娯楽」となるものは、クラブイベント、ライブ、公演など様々なものがあります。そういった「楽しさ」を提供するものに、社会問題についての真面目な問題提起をうまく盛り込むことができれば、社会運動の波をますます盛り上げ、影響力の大きなものにしていくことができるはずです。次に何かを企画する時には、そういうタイプのものに挑戦してみたいと思っています。

 ところで、今回の記事のタイトルのもととなった映画「僕たちは世界を変えることができない。」ですが、この作品は医大に通うリア充がカンボジアの貧困問題に関心を持ち、150万円でカンボジアに小学校を設立するというボランティア基金に向けて奔走するというストーリーです。何不自由ない大学生活を送りながらも「なにか物足りない」という軽い動機で社会運動に身を投じる彼らの姿。人の目には「チャラい」とも映る彼らのノリはまさに「リア充」そのものでした。もちろん映画をヒットさせるために意図的にそう描いているという面もあるでしょう。しかし、だからこそ多くの観客を魅了し、貧困の問題への関心を高めるきっかけを作ることに成功したと言えるでしょう。それにしても、主演の向井理はイケメンでありながら冴えない男の役がぴったりハマり、なんとも憎めないキャラクターですね。

 しかし、「流行は作られる」とはよく言ったものですね。今の社会運動の盛り上がりを、ある種のビジネスチャンスととらえるメディアなどが出てきてもいいと思うのですが。デモ系男子、デモガールとか流行らないかな~。デパートにデモガールファッションのコーナーができたり、女性誌で「愛されユルフワプラカード」とか「オシャレ拡声器」とか取り上げてくれたら面白いのにな~。

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コメント

べてる訪問のツイートを拝見し、ブログに参りました。私たちの法律事務所は東京そてりあという精神障碍者自立支援団体・施設の顧問をしているので興味を持ちました。

リア充を巻き込むことの重要性についてはご指摘の通りだと思います。それができない運動では社会で多数を形成できず、多くの場合自己満足に終わってしまうように思うからです。

ツイートでのご発言は共感できるものが多いですが、理念的なものが多いように感じます。いろいろ具体的な提言をお聞かせいただけると嬉しいです。

ますますのご活躍を期待します。

コメントありがとうございます。
法律事務所と自立支援団体との連携は面白いですね。
ご指摘の通り、理念的にはいろいろ意見を発信しているのですが、まだまだ具体的な提言ができる段階ではありません。
「ホワイトアクション事例集」を通して、社会への関わりを持つことが第一歩かと考えてます。
今後とも活動を追っていただけたら幸いです。

はじめましてQ崎様

しかし社会運動や言論をする(目標ではなく)動機というのはその「リア充」への嫌悪感から生まれているのではないでしょうか。
「リア充」というのは見た目に基づく命名で、実のところ「爆発しろ」と呪われているのは自分自身を疑う事のない自信家なのではないかと思います。
誰が「爆発しろ!」と呪っているか。「オタク」も「ネトウヨ」も一面をとらえているに過ぎず、実はKY(空気が読めない人を指すあの言葉)と呼ばれる人ではないのか。

個人的な話をすると私は自分が「オタク」や「ネットウヨク」に分類されると思い込んでいたのですが、昨今のオタクのヨイショされぶりと、自民党の圧勝及び安倍政権の発足をまるで千年王国の実現かのようにはしゃぐネットの保守層の書きこみを見るにつれ、ああ俺が嫌いなのは「左翼」でも「リア充」でもなく自信家なのだな、という思いに至りました。
私が自信家の人たちというのは「何を言っても自分が間違っている可能性に思いをはせる事のない人たち」言い換えると「何を言っても傷つかない人たち」の事です。

「モテる奴」「リア充」への罵詈雑言は実は自分がモテない、自分のリアルが充実していないから、ではなくてそういう自信家への生理的嫌悪感からきているように思えてなりません。「空気を読め」とがなる多数派が世界の残りの空気を読もうともしない事への反発というか。

それがこの記事とどう関係あるのかというと「そんなことをして大丈夫なのかなぁ」という危惧です。
「自信家」が入ってくるといかなるものであれ社会運動はたぶん腐り始めます。共産主義もフェミニズムも公民権運動もそうだったのではないのですか。
ローザ・パークスさんとかの飾り気のない怒りは結局自信家たちによって汚染され利権と化して、当時本当に殴られていた女性たちが発したフェミニズムという怒りは上野さんみたいな人権屋の権力の道具になってしまったはないですか。
左右逆向きの(多分小林よしのりさんが源流の)ネットの愛国的な運動もそうなんじゃないですか。
それでもうみんな自信家がいやになって、例えばフェミニズムとかだと自信満々な「非処女」や「フェミ」にすごい人格否定の言葉が飛んでいく。
でもまたその批判者たちも自信を付けて同じように「自信家」になっていく…その繰り返しの気がします。

去年のエントリーで見ていただけることはないとは思いますが、ぐしゃぐしゃの文章すいませんでした。文章をまとめる能力が無いです。
兵頭さんのツイートを纏めてらっしゃったのを見て興味をもってブログを見させていただきました。たぶん的外れだと思うので、すいません。

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