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2012年8月

2012年8月26日 (日)

浦河ぱぴぷぺぽ紀行2「人は病気を治すためだけに生きるのではない」

 今回の記事は、前回の「浦河ぱぴぷぺぽ紀行」の続きです。今回は、べてるの家の見学を経て考えたことをまとめてみようと思います。またまた一見すると労働問題とは関係のない内容に見えるかもしれませんが、だまされたと思って最後まで読んでください。「なぜブラック企業はいけないのか」「なぜ労働時間を定める法律が必要なのか」という、私の活動の動機に深く関わる内容となっております。

「人は○○のためだけに生きるのではない」
 まず副題の「人は病気を治すためだけに生きるのではない」というフレーズは、作家であり、日本のゲイムーブメントの火付け役として知られる伏見憲明氏の著書『欲望問題』の副題「人は差別をなくすためだけに生きるのではない」へのオマージュです。差別の問題を扱う著書の中で、セクシャルマイノリティの当事者として差別解消に尽力してきた著者が「人は差別をなくすためだけに生きるのではない」と述べる背景には、どのような考えがあるのでしょう。それは、差別がある、ないという平易な見方だけではとらえきれない、マイノリティであることが人生にもたらす複雑な影響の存在を示しているのではないでしょうか(そもそもどのような状態が「差別がある」ことになるのか、十分に議論されているとは言えません)。「抑圧されている側の主張が常に正しいとは限らない」という、考えれば当たり前の道理が通らない場合があるのも、同じ背景によるものだと考えられます。同じマイノリティという枠の中にいても、様々な立場や利害関係の違いもありますしね。差別という大雑把な枠で見るのではなく、個々の事例を繊細に見ていく必要があるという考えを読み取ることができます。

 差別が解消されても(されたように思えても)違和感が残る人がいれば、差別が残っていても(残っているように思えても)気に留めない人もいます。差別の有無はマイノリティ当事者の幸福を決定する1つの要素ですが、絶対条件ではありません。「差別がなければ幸せとは単純に言い切れない」というわけです。これは他のことにも当てはまりますね。「お金がたくさんあれば幸せとは単純に言い切れない」「美男・美女なら幸せとは単純に言い切れない」「友達がたくさんいれば幸せとは単純に言い切れない」などなど、挙げればいろんなパターンが作れるでしょう。「そんなのは綺麗事だ」という人もいるかもしれませんが、多様な生き方を実践している人たちの存在は、これらのフレーズが全くの綺麗事だと切って捨てることを躊躇わせる「実感」を私たちに与えてくれます。また、私たちは問題の原因を1つのわかりやすい要因に求めたがります。そして「これさえ解決すれば全てうまくいくはずだ!」と信じ込んでしまうのです。今の日本では「景気さえ回復すれば」でしょうか。しかし、私たちが「質の高い生」を実現するためには、問題の一面にとらわれず本質を繊細に見ていく必要があるのではないでしょうか。現在の日本が「経済回って社会回らず」と評されるような状況にあるのは、経済成長というわかりやすい尺度でしか国民の幸福というものを考えてこなかったという背景があるのでしょう。

 さて、べてるには「勝手におすな自分の病気」「べてるに来れば病気がでる」という理念があります。また、べてるを陰で支える川村敏明医師(浦河赤十字病院精神神経科部長)は「治さない医師」として有名です。べてるは病気を「治す」ことを目的とした活動は行いません。といっても、服薬などの医療的なサポートを全く行わないわけではありませんし、「幻聴さん」「爆発」などの症状を軽減することはメンバーが社会に居場所を得るためにも必要なことです。ただ、「病気を治す」ということがその人の人生にどのような意味を持つのかという問いを置き去りにしたまま、「病気さえ治れば!」という想いにとらわれてしまうことは避けなければなりません。あくまで目的は「質の高い生」を得ることです。「生きづらさを解消する手段を目的化してはいけない」という教訓が得られそうです。

「安心してサボれる会社づくり」
べてるの理念には「安心してサボれる会社づくり」というものもあります。この理念については、前の記事でも触れています。ここでいう「サボる」とは、なにも「ずるをしろ」「楽をしろ」というのではありません。「無理して働かない」という意味で捉えるべきでしょう。「無理をして働かない」とは、「できることとできないことをしっかり分け、できることをやる」という意味にとらえられがちであると思います。では「できること」とは何でしょう。「BREAD AND ROSES 8 観覧してきました!」という記事で、熊谷晋一郎氏と大野更紗氏の対談を取り上げました。その対談の中で熊谷氏は「特別支援学校の先生は子どもを教育する時に『できることは自分でしましょうね』って言いやがるんですよ」と「できる」「できない」の二元論の怖さを指摘しました(動画では中盤の32:15あたりから)。障害を抱えていても、生活動作の多くは「頑張ればできてしまう」ので、「できることはやる」という考えでは、毎日の生活が「ぎりぎりまで頑張り、限界を迎えて初めて助けてもらう」という営みの繰り返しになってしまいます。また、熊谷氏は綾屋紗月氏(熊谷氏のパートナーで、アスペルガー症候群当事者)との共著『発達障害当事者研究 ゆっくりていねいにつながりたい』のあとがきで、次のように述べています。

(著書の完成が近付き、再び際限なく続くと感じられる家事労働に埋没する毎日が始まることに恐怖を感じている綾屋氏に)
『これまでなんとかギリギリできていたが、これからはアシストしてもらう』ということを説明するときには、コツがあります。決して『自分は家事ができないのだ』と言わないことです。そんな風に表現すると、人は『でも今まではできていたではないか』『できるところまでがんばってみようよ』『できないといってあきらめて、怠けている』『誰だって大変だけどがんばってるんだよ!』と攻撃の手を休めることをしません。『できないことはしなくていいが、できることはしてもらわなくては困る』という議論に絡み取られてしまうでしょう。
 しかし、そもそもがんばればがんばるほどできる範囲というのは広がってくるわけですし、『できるできない』の境界線はあらかじめ引かれたものではありません。『できるできない』という質的な二律背反ではなく、『できるけれどもどれくらいの負担がともなうか』という量的な問題で伝える必要があります。

熊谷氏は「2時間かければ自分で靴下がはける」そうですが、彼ががんばって2時間かけて靴下をはくことにどれほどの意味があるでしょうか。簡単に手伝える人がさらっと手伝ってはかせた方が良いに決まっています。さて、過労を強いられている人たちもこれと似たような状況にあるのではないでしょうか。1日や2日くらいの徹夜など「頑張ればできる」ことです。頑張れば頑張るほど「できる」範囲は広がっていきますので、歯止めが利かなくなり過労死という最悪の結果を迎える事態も生じます。私たちに必要なのは「頑張る」ことではなく、「できることはしません」と言う勇気と「安心してサボれる会社づくり」です。福祉の現場にしろ労働の現場にしろ、「当事者の最低限人間らしい生活を送るための時間と自由を確保する」という視点に立って制度を構築していく必要があります(少なくとも労働基準法はそういう趣旨のもとに制定されたものなのですが…)。また、誰かを援助する立場に立った時、迂闊に「できることは頑張ってやろう」と口にしないように気をつけたいものです。それは「限界ギリギリまで頑張る毎日をおくりなさい」という意味になってしまう場合があるのですから。

当事者研究は「幸せな生き方研究」
 「べてるの家と言えば当事者研究。当事者研究と言えばべてるの家。」というフレーズは今私が勝手に考えたものですが、やはりべてるの家での取り組みの最大の目玉は「当事者研究」でしょう。当事者研究の流れについてはこちらのサイトに詳しい情報が載っています。当事者研究の最大の意義は「病気について自分の言葉で理解し、自分の言葉で説明できるようになること」であると考えられます。それは具体的には「自己病名」という形で実践されています。「自己病名」のメリットについては前の記事でも書きましたが、病気による「苦労の質」を浮き彫りにし、対処の仕方を具体的に考えることができるというのが大きな特徴です。さて、私がべてるの家を訪れ感じたのは、障害者雇用の適切な実現の拡大の可能性です。雇用される障害者自身が「こういう条件でなら働くことができます」と自分の言葉で語れるようになることは、企業が雇用条件やサポート体制を具体的に組み上げていくうえで大きなヒントになるはずです。私はこれまで「人を適応させるのではなく、仕事(社会制度)を人に合わせるべきだ。」と主張してきましたが、その方法については「多様な働き方を認めろ」という以外には案が思いつきませんでした。個々の能力を最大限発揮できるような環境を整えることは組織にとっても利益となることですが、このような「働き方のオーダーメイド」を企業にお膳立てしろと一方的に要求するのは、虫のいい話だったのかもしれません。「私の苦手なことはこれです。」「こういう時にはこうやって助けてください。」と当事者が主体的に提案することが、雇う側にも雇われる側にも益となる関係を築くために有効な手段となるでしょう。

 さて、病気や障害とは言わないまでも、人間誰しもそれぞれの「苦手」や「コンプレックス」という「生きづらさのもと」を抱えています。その「生きづらさのもと」との上手な付き合い方を、当事者研究から学ぶことができるのではないでしょうか。「外在化」を例に考えてみましょう。こちらのサイトでは、「①〈問題〉と人との、切り離し作業」というプロセスとして紹介されています。「問題と適切な距離を取り、他人事のように眺める」と表現することもできるでしょう。ところで、私の愛して止まない「よりみちパン!セ」シリーズには、中村うさぎ氏の『こんな私が大嫌い!』という著書があります。その中で自らを「『自分嫌い』のプロ」と称する中村氏が、コンプレックスや自己評価について様々な角度から検討する名著です。その第1章にある「自分嫌い」から解放されるための手段についての分析を引用します。

人は、自分と他人を照らし合わせて、初めて「自分」を知ることができるし、「他人」を理解することができる。
 だから、自分と他人をくらべて「優越感」や「劣等感」を抱いてしまうのは、全然、悪いことじゃない。ただ、その時に抱いた「優越感」や「劣等感」を、相手に対する「憎しみ」や「軽蔑」に転化せず、むしろ相手への「理解」に役立てることが大切なんだよ。
 そうやって、自分の「感情」を一歩離れた場所から観察する癖をつけると、「自分嫌い」や「自分好き」の問題にも、自然と対処できるようになる。自分の感情に振り回されないで、自分を正しく見つめる訓練ができるの。
「自分嫌いじゃなくなる」って言うと、「じゃあ、自分を好きになればいいのか」って思う人は多いんだけど、じつは、それ、違うんだよね。「自分が嫌い」という気持ちも、「自分が好き」という気持ちも、ともに「自分への執着」だから、同じように苦しいんだよ。
 たとえば、今の自分じゃ、どうしても好きになれないって場合、人は「理想の自分」を頭の中に作り上げて、その「理想の自分」を好きになろうとする。自分のことを極端に美化しちゃうんだ。でも、本当の自分はそんなんじゃないから、結局、美化した自分を好きになればなるほど、本当の自分がますます嫌いになって、苦しさは変わらないの。
 だから、「自分嫌いじゃなくなる」ってことは、「自分への執着から解放される」ってことで、要するに「自分を嫌いでも好きでもなくなる」ってことなんだ。
 まるで他人のように、距離を置いて自分を観察して、「まあ、いいところもあるし、悪いところもあるし、こんなもんかな」くらいに思えるようになったら、私たちはすごくすごくラクになるんだよ。

程度の差は天と地ほどあるのかもしれませんが、コンプレックスも病気も「生きづらさのもと」であることには変わりません。そして、コンプレックスや病気そのものが「苦労」や「生きづらさ」であるのではなく、対処の仕方がわからないことが「苦労」なのだという捉え方ができる点でも共通しています。このように、当事者研究の手法はいわゆる病気や障害のない人達の人生の質を高めるために役立てることのできるものだと言えます。それは、べてるの家の理事の向谷地生良氏が『技法以前 べてるの家のつくりかた』という著書の中で「べてるの家では『治療』を重視したアプローチから、『生きること』に軸足を移した。」と述べるとおり、当事者研究が病気を治すという一面的なものではなく、人生の質をトータルに高めることを趣旨としたものであるからです。さて、ユニバーサルデザインという言葉は、単に弱者支援を目的とするという意味でバリアフリーと区別されて認識されています。しかし、同じ手法でも、それを弱者支援という枠の中で活用するか、誰でも使いやすいものとして活用するかによって、バリアフリーにもユニバーサルデザインにもなるのではないでしょうか。例えば、公共施設に設置されている自動販売機には、小銭を入れやすいようにスロープがついているものがありますが、あれは私にも大変使いやすいものですので、全ての自動販売機につけてもらえると非常にありがたいと思います。この当事者研究も、自己理解や対人スキルのユニバーサルデザインとして活用していくこともできるのではないでしょうか

「笑われる」でも「笑わせる」でもなく「笑ってしまう」
 べてるの家の「自己病名」の特徴は、そのユーモアにあります。なんというか、病気の名前なのにちょっと愉快で面白いのです。例えば「統合失調症他人の苦労のごみ集めタイプ」「資料収集完全主義疲労破綻パニック型片づけられない症候群」、苦しくなるとその場から逃げださずにいられなくなる「逃走失踪症」といったシャレの利いたものもあります。また、「王道型」「タイムマシン型」など、思わず「それってどういう意味?」と聞いてみたくなるようなタイプ分けのためのネーミングンもあります。深刻な「生きづらさのもと」を「面白い」などと言うのは不謹慎だと感じる人もいるかもしれませんが、これも苦労を重ねてきた当事者たちが生み出した生きる知恵なのです。中村うさぎ氏も『こんな私が大嫌い!』の中で「自虐ギャグのススメ」という章を1つ書いてしまうほど、「自分のコンプレックスを笑いのネタにする」ことの価値を大切にしています。

自分のダメな部分を、嫌ってばかりいても仕方ない。ダメな部分を無理やり矯正して、自分を好きになろうとしても、そこにはやっぱり限界があるわ。
 なら、自分のダメさ加減を笑ってしまいましょう。自分のことを笑えたら、人から笑われても気にならない。むしろ、人から笑ってもらえる自分をさほど嫌いにならなくなるわ。

このように「生きづらさのもと」や「苦労のタネ」をネタに「笑わせてやろう」という姿勢を持つことは、それらと上手に付き合っていくうえで非常に有効な手段です。「深刻になり過ぎない」ことが大事ですね。また、「笑わせる」姿勢を持つことは、「生きづらさのもと」と適切な距離を取り、「外在化」しやすくなるというメリットもあるようです。以下も『こんな私が大嫌い!』からの引用です。

「他人より先に自分の欠点を見つけられる」ってことは、さっきから言ってるように「自分を客観的に見れる」ってことなんだよ。他人の目よりも客観的に自分を観れるから、自分の欠点や間違いに他人よりも早く気づける。
 そして、それを「自分で笑える」ってことは、さらに自分に対して冷静だってこと。自分の欠点を「好き」とか「嫌い」とかいう感情から切り離して、正当化するでもなく自己嫌悪に陥るでもなく「ああ、私って、こういうところがホントにダメなんだよなぁ。これ、人から見たら、かなりお笑いだね」なんて、他人事みたいに見つめられるってことだからね。

 ここまで「笑わせる」ことの持つ力について述べてきましたが、より笑いの純度が高いのは考える間もなく「思わず笑ってしまう」ような出来事ではないでしょうか。向谷地生良氏は『技法以前』の中で、このようなエピソードを紹介しています。ある統合失調症を抱えた青年は行動化(幻聴の言葉に逆らえず、それに従った行動をとってしまうこと)に苦しんでいました。高校時代バスケットボール部の選手だった彼をマイケル・ジョーダンが「きみは全米プロバスケットリーグにスカウトされたよ!」と誘いをかけてくるという幻聴の言うままに、荷物をまとめて空港まで行ってしまい保護されるということを繰り返していたそうです。そこで向谷地氏がマイケル・ジョーダン役を務め、断る練習をすると、彼はきっぱりと丁寧に誘いを断ることができました。しかし、彼にはさらなる強敵がいました。

「じつは……、ぼくはジョーダンを断ることはできると思うんですけど、チアガールの美女の誘いは断ることができないんですよ……」
私は、大笑いをしてしまった。傍らでは両親も口を押さえて笑いをこらえていた。

向谷地氏が今度はチアガールの立場で彼を誘うと、彼はこう言いました。

「誘ってもらうのはうれしいんだけど、僕は幻聴のあなたではなく、本当のあなたに会いたいので、今回はお断りします!」
 その断り方の巧みさに、みんな笑いの渦に巻き込まれた。三〇分前の沈痛で重苦しい空気は嘘のように晴れ、楽しい談笑の場に変わっていた。

「彼の真剣な悩みを笑うなんて!」と怒らないでください。ここで起こった笑いは、侮蔑や悪意のこもった笑いではなく、不意を突かれたがゆえの他意を含まない笑いです。深刻にならず、素直に笑ってしまうことが事態を好転させることもあるという好例として紹介させていただきました。

当事者研究会を包み込む「居心地の良さ」の正体は何なのか
 東京は西早稲田に、大人(成人)発達障害のための就労支援施設 Neccoがあります。私はここで行われている当事者研究会に何度か参加したことがあります。当事者研究会の存在を知ったのは、発起人の綾屋紗月氏のブログからです。当事者でない人の参加も可ということでしたので、かねてから綾屋氏のファン(?)であった私は思い切って参加してみることにしました。「私が他者から『この人、困った人だな~』と思われたり言われたりするとき」「仕事に行けないくらい自分を疲れさせて追い込むとしたらどんな方法が効果的か?」「『片づけられない』ってどんな感じ?」などなど、興味深いテーマで研究会は開かれていました。これまでの研究会の一覧はこちら

 話し合われた内容ももちろん印象的だったのですが、なにより「ここは居心地が良いな。また参加したい。」という気持ちが得られたことに驚きを感じました。私は発達障害の当事者ではありませんし、話し合いには参加しましたがあくまで見学者という立場にいたつもりでした。初対面の人ばかりの空間だというのに緊張感はなく、自宅にいるときほど砕けることもなく、適度に肩の力が抜けた状態になります。そんな経験はこれまでになく、強く私の印象に残りました。その時と同じ感覚をべてるの家を見学に訪れた際にも感じ、当事者研究を行う「場の力」について考えるようになりました。そのヒントを『技法以前』に紹介されているメンバーの言葉に見つけました。「一緒に考えてくれる人間と同時に自分が現れる」という項目からの引用です。

 一緒に考えてくれるときの相手は、いつも自分と同じ目線の高さにいます。上から言われる感じも下から言われる感じもしません。「同じ目線だ」と感じます。それに「これが人間だ」と思ってうれしくなります。しかも「こんなちっぽけな自分のことを一緒に考えてくれるのはなぜか」とも思います。
 でもそうやって同じ目線の高さで話してくれているうちに、私は「ああ、自分はそんなにちっぽけなものじゃなかったのかもしれない。こういうふうに一緒に考えてくれるということはこの人は自分の存在も自分のできる力も信じてくれているし認めてくれているんだ」と思います。だから一緒に考えてくれる相手が現れると、同時に自分が現れてくることになるのです。けっきょく人間は、人間がいないと、自分がいるということに気づかないのかもしれないと思います……。

 当事者研究を行う上での心得の1つに「初心対等」というものがあります。当事者研究にはベテランも初心者もなく、誰もが対等な立場で仲間の大切な経験から学ぶということを確認するものです。集まったメンバーが「同じ目線の高さ」で1つの問題についてああだこうだと考えるのが当事者研究です。当事者研究はなにしろ「研究」ですから、目的は問題の構造を解明することや、解決の手立てを見つけることです。そこには他者を「批判する目線」も「評価する目線」も必要ありません。研究という協同作業を営む過程で、熊谷氏の言う「ほどきつつ拾い合う関係」が緩やかに結ばれていくのではないでしょうか(とにかく『リハビリの夜』はものすごい名著なので、みなさん読んでください!)。私の感じていた「居心地の良さ」の正体は、「同じ目線の高さ」でつながることで生まれる「安心して自分でいられる」という実感でした。

 今回の記事では「障害」と「健常」、「病気」と「健康」はそもそも連続的なものであり、大変な生きづらさを抱えてきたメンバーたちがより良く生きるために編み出してきた知恵は、全ての人の生の質を高めるために役立てることができるだろうという発想で書きました。向谷地氏も『技法以前』に「病識より問題意識」という1つの章を立てるほど「病気であるという自覚の有無は問題ではない」考えているようです。べてるの家の活動は、病気であるという一面に縛られず、「困っている人を手を尽くして助ける」というシンプルな原則によって行われているのではないでしょうか。生き延びるための手段を必死で得ようとしてきた人達の知恵をいただこうというのは、なんとも欲深く、業の深いものに感じられますが、私たちは「もっと良く生きたい」という腹の底からの声にもっと素直になっても良いのだと思います。最後に、「○○のためだけに生きるのではないというのなら、何のために生きているんだ」という問いに対しては「幸せになるために生きているんだ」というほかはありません。言葉にするとチープな表現ですが、これ以上ぴったりくる表現はないのではないでしょうか。

12/28加筆
 当事者研究会の居心地のよさについて、12月15日に開催された関東当事者研究交流集会に参加して改めて考えました。交流集会で印象的だったのは、熊谷晋一郎氏と向谷地生行氏の対談でした。「研究すると失敗は失敗ではなくなり、研究成果になる」という指摘には目から鱗が落ちました。また熊谷氏は「シャバの責任は「誰に原因があるのか」を追求する「個人化した責任」であるのに対し、当事者研究でいう責任は「集団的な責任性」である」と述べました。
 さて、当事者研究とは「そういうふうに困ったときは、こうするとうまくいくよ」という研究成果を共有する場であると説明することができます。情報は物と違って、人にあげても手元からなくなりません。つまり、有益な情報は共有すればするほどコミュニティは豊かになるのです。ディブリーフィングという情報共有による問題解決の手法にも通じるものがあるでしょう。ここに資本主義に基づく私的所有の概念を相対化するヒントがあります。自力ではなんともならない生きづらさを抱えた人たちが行き着いたのが、この当事者研究です。より良い生を求めて考え抜いた人たちが編み出したのは、「責任」や「知恵」を共有化するという手法でした。それは、「自己責任」の名のもとにあらゆるものを「個人的なもの」とみなしてしまう現代社会の価値観にはない豊かさを内包しています。
 ここまで考えて見えてきた「当事者研究会の居心地のよさ」の正体とは

 現代社会の価値観では、誰かが苦労しているという事実に対し「苦労している人がいるんだから、わたしも頑張らないと(お前も頑張れ)」と考えるが、当事者研究の文脈では「その苦労を解消する方法をみんなで考えよう」というスタンスになる

 というものです。どちらが生産的な営みであるかは一目瞭然です。傷の舐めあいになると批判されることもある当事者研究ですが、その実かなり生産的な活動なのです。たとえばビジネスの場面においても、「どうして契約件数が伸びないのか」というテーマで失敗談などを共有することで、有効な方法が見つかることもあるかもしれません。情報を共有することで生まれる豊かさに、私たちはもっと目を向けるべきなのでしょう。

2012年8月23日 (木)

浦河ぱぴぷぺぽ紀行

 今年の夏はお盆休みを利用して、北海道は浦河にある「べてるの家」を見学してきました。べてるの家について詳しく知りたい方はオフィシャルサイトをどうぞ。社会福祉法人なんて労働の問題とどう関係があるのかと思うかもしれませんが、めちゃくちゃ関係していますのでどうか最後まで読んでください。

 べてるの家がある浦河は、北海道の南側の海に面した町です。日高昆布とサラブレッドの生産で有名な地域です。夏は涼しく冬もそれほど雪深くない住みやすい街です。14日の朝に出発して、浦河に着いたのは夜の8時。ホテルでの夕食を楽しんで、一日目は早々にベッドに入りました。
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ホテルの近くの堤防から撮った写真

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港にはイカ釣り漁船がたくさん停泊していました。

 15日の朝、ホテルで朝食をとっていると同じホテルの宿泊客が降りてきました。その人は日本仕事百貨という求人事業を行う会社のスタッフで、取材のために浦河を訪れたところ、偶然べてるの家の存在を知り、見学を決めたそうです。驚いたことに、この日本仕事百貨という事業は、給与や勤務地といった条件だけでなく、独自性のある仕事に就きたいという求職者と、そういった特徴を持つ職場とをつなげる求人サービスです。脱就活の動きはこんな形でも現れているのです。彼女も現在の就職や雇用に違和感を持っており、就活を経て多くの人が一元化した価値観にはまっていくことに疑問を感じていました。そんな気持ちから今の仕事に巡りあったそうです。朝から思いがけず貴重な話が聞けました。

 「べてるの家」は現在「ニューべてる」という事務所を本拠地とし、元祖べてるの家はグループホームとして使っています。その事を知らずいきなり元祖の方に行ってしまい、メンバー(施設の利用者)の方に「なんか若いのが来たぞ?」と不思議がられてしまいました。いきなりやらかしてしまいましたが、スタッフの方にニューべてるの場所を教えていただき、なんとかたどり着くことができました。

 作業をしているメンバーに声をかけると、2階に案内してくれました。スタッフの方に優しく出迎えられ、朝ミーティングに加えていただきました。朝ミーティングでは、メンバーが1人ずつその時の体調、気分、勤務時間を報告します。体調や気分に合わせて勤務時間や内容をメンバーが主体的に決めるのです。そして、この体調や気分の報告が思いの外大切な意味を持つのです。これはべてるの家の理念「弱さの情報公開」の実践であり、「安心してサボれる職場作り」の一環なのです。調子が悪いことを予め伝えておけば「もう頑張れないので今日は帰ります」となってしまった時にも、スタッフや他のメンバーは「そういえば、朝調子が悪いって言ってたな」と慌てずに受け入れることができるのです。

 さて、「安心してサボれる職場」なんてものにしてしまったら、みんなサボってしまって仕事にならないのではないかと思うかもしれません。しかし、べてるの家は就労支援施設であり、メンバーは自立して働けるようになることを目指して通っています。雇われて働くためのステップとして、自信を失わずに働ける環境を作っているのです。また、実際に仕事に就いてからも病気と付き合いながら働くことになるので、調子が悪くなったときの対処法として「うまいサボり方」を身に付けておくことは大切なことなのです。

 朝ミーティングのあとにはメンバーは事務所の清掃を始め、私はその間にオリエンテーションを受けました。そこでは、べてるの家の沿革や組織について教えてもらいました。日本赤十字病院の精神病棟を退院した人たちが、何か地域のためになることをしようと昆布の加工事業を始めたのがべてるの家の始まりでしたが、今では有限会社として介護用品の販売を行ったり、就労サポートセンターとしてカフェの経営やグッズ販売、うどんの製造などなど、様々な事業を手掛けてメンバーの活躍の場を増やしています。

 オリエンテーションのあとは昆布の新商品のパッケージを作る作業を手伝いました。お盆の時期だったため里帰りをしているメンバーが多く、作業は少人数で行いました。「手よりも口を動かせ」という理念を掲げていながら、その日の作業は黙々と非常に真面目な(?)勤務態度で進んでいきました。世間話を振っていた私が一番口を動かしていたと思います。休憩を挟んで一時間半ほどの作業でした。

 お昼は「カフェぶらぶら」に行きました。その日のメニューは冷やしうどん。めんめんチームが作ったうどんにべてるの農園で採れた野菜をトッピングした、べてるの家の様々なチームの努力の結晶です。うどんも野菜もとても美味しかったです。

 昼食のあとは共同住居を見学させてもらいました。べてるの家には、ケアスタッフが常駐するケアホームやグループホーム だけでなく、メンバーが支えあいながら共同生活を営むための住居がいくつもあります。介助の必要性に応じて、住むところを選ぶことができます。

 共同住居の見学のあとは、べてるの農園に連れていってもらいました。同行させてくれたのはメンバーのSさんと看護師のYさん。Sさんはその日の朝、お母さんと大喧嘩をして歯磨き粉を頭にかけてしまうという騒動を起こしたそうです。また、以前メンバーの1人が道にペットボトルが落ちているのをほったらかして通りすぎてしまったのを見かけた時に、声をかけて拾うように言えなかったことをSさんは気にしていました(Sさんは道に落ちているゴミを拾って持ち帰る習慣のある偉い人です)。その話を聞いたYさんは「じゃあ次に会ったときにどんなふうにその時のことを伝えようか。」と、即興のSSTを始めました。ふと訪れたチャンスを逃さないプロ意識を感じました。

 農園に着いたら、冷たいお茶をいただいて農作業に取りかかります。この農園はけっこう広く、育てている野菜も10種類以上あります。特に収穫するものはなかったので、草取りに専念しました。この農園は除草剤を使わずに栽培しているので、頻繁に草取りをしなければいけません。もちろん作業中は口もしっかり動かします。Sさんの「前にいた施設は規律が厳しく大変だった話」や、Yさんの「去年まで白衣を着ていたのに、北海道に来てつなぎを着て農作業をすることになるとは思わなかった話」で盛り上がりました。私は久しぶりに土に触れ、とても気分がリフレッシュしました。

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空気もとてもきれいでした。

 園から戻ったらカフェでコーヒーをいただきながらしばしまったり。夕方には住居ミーティングに参加させていただきました。住居ミーティングでは、共同生活を一緒に送るメンバー同士で、生活していて良かったことや苦労したこと、さらに良くする点を話し合います。見学者の私にも自己紹介とともに「苦労」についてお話しする順番が回ってきました。私が「仕事で事務処理が多くて本当に力を注ぎたいところに回す労力が確保できないこと」と話すと、同席していたスタッフが「福祉の現場でもマネジメントという形で効率を求めるようになり、同じ問題を抱えています」と答えてくれました。福祉業界にも、べてるの家の職員でさえそう感じる実情があるようです。1日目の見学はこれで終わりです。

 2日目は、昨日知り合った日本仕事百貨のスタッフさんと一緒に見学に向かいました。ニューべてるに着くと、朝ミーティングに同じシャツとジャージを身に付けた若者が数人参加していました。話を聞いてみると、実習に来た看護学生でした。実習先がべてるなんて、とてもラッキーな学生達です。ミーティングが終わったらみんなで事務所の掃除をしました。掃除が終わったら、昆布の袋詰めの作業です。この日に扱ったのは、25日と26日に行われるべてるまつりで発売される新商品「昆布研究」です。昆布からとった出汁をどんな料理に活用するか、お客さんたちから情報を集めるという面白い企画です。もちろん口もたくさん動かします。

50歳ほどの男性メンバー「2人は一緒に見学に来たの?」
Q崎      「いえ、私は神奈川から、彼女は東京から来ました。」
仕事百貨  「泊っているところがたまたま同じだったので、今日は一緒に来ました。」
男性メンバー「そうなんだ。それでフォーリンラブというわけか。」
仕事百貨  「いえいえ(笑)昨日知り合ったばかりですから。」
Q崎       「フォーリンラブ(笑)なんでそこだけ横文字なんですか!」

40歳くらいの女性メンバーに
仕事百貨  「べてるに来てどれくらいたつんですか?」
男性メンバー「この人は30年くらい前だよ。」
女性メンバー「それじゃ私何歳の頃からいることになるのよ。3年前よ。」
男性メンバー「昨日来たばっかりだよな。」
女性メンバー「なんであなたは言うことが極端なのよ。この人の言うこと信じちゃダメよ。」
仕事百貨  「わかりました(笑)」
と、笑いが絶えませんでした。

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パッケージも可愛いですね。

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ニューべてるの一角には貼り紙がいっぱい。

 さて、この日本仕事百貨のスタッフさんがとても興味深いことを言っていました。彼女はべてるの掲げる理念のうち、特に「弱さを絆に」「弱さの情報公開」に強い関心を持ったようです。というのも、私たちの普段のコミュニケーションが、自分の強みやポジティブな面だけをアピールしあい、弱さやダメなところも含めたありのままを受け入れあう関係を築けていないというのです。彼女はそれを「Facebook的」なコミュニケーションだと表現していました。FacebookやmixiといったSNSは、やはり楽しかったことや生活の充実ぶりをアピールする場となってしまっていると感じます。それを象徴しているのがあの「いいね!」ボタンです。いつの間にか、Facebookへの投稿が「いいね!」を集めるためのゲームになっているようです。そういうコミュニケーション様式が、現実でのコミュニケーションにも浸透してきており、それに息苦しさを感じている人もいるのではないでしょうか。

こんなの見つけました。Facebook的コミュニケーションの弊害が最悪な形で現れた例。
会社のソーシャルメディア担当になったらクビになりそうになってる件

もしFacebookに「だめじゃん!」ボタンもついていたら、弱さやダメなところを笑いあって、明るく安心して人とつながることのできるコミュニケーションが普及するかもしれません。べてるの家ではそれを実践しているのです。

 さて、昆布の次はSSTです。SST(Social Skills Training;生活技能訓練)とは、「生活や病気の苦労を具体的な課題としてあげ、ロールプレイをし、コミュニケーションの練習をする場です。参加した仲間の正のフィードバックや、スキルのモデリングを大切にしており、認知行動療法のひとつです。」(べてるの家オリエンテーション資料より)。私も含め、見学者が多かったので、初めは1人ずつの自己紹介です。やはりここでも「苦労」の情報を共有する機会があったので、再び「仕事で事務処理が多くて本当に力を注ぎたいところに回す労力が確保できない苦労」のことを話したのですが、あとになって私がここで本当の「弱さの情報公開」をしていなかったことに気がつきました。私が本当に困っているのは、もちろん仕事の忙しさが原因の1つになってはいるのですが、「会議の時だけ襲ってくる強力な睡魔」でした。睡眠障害の一種なのかもしれませんが、場面緘黙のように特定の場面で逆らうのが非常に難しい眠気がやってくるのです。私はあの場で睡魔の話をしなかったことを後悔しています。

 SSTの司会は、べてるの家の理事である向谷地生良氏の奥さんであり、看護師の向谷地悦子さんでした。テンポの良い進行はとても見事で、ファシリテーションの好例を見せてもらえたようでした。SSTの内容は、家族との関わり方の練習がメインでした。距離が近しい間柄だからこそ、関わりに困難が生じることもあるのですね。

 昼食を挟んで昆布の袋づめを1時間ほど行ったら、看護学生達のオリエンテーションに交ぜてもらいました。一通りの説明を聞いた後の質疑応答で、べてるの家の特徴的な取り組みの1つである「自己病名」について聞いてみました。「自己病名」とは、医師などの専門家がつける病名ではなく、当事者が自分で考えた病名のことです。「自己病名」をつけると、病気との付き合い方を考えやすくなるだけでなく、周囲の人にも苦労の中身が細かに伝わりサポートしやすくなるというメリットがあります。例えば、企業には障害者雇用が法律で義務付けられていますが、罰金を払うことで済ましている企業も少なくありません。その背景には、障害のある人を職場でどのように無理なく働かせることができるか、企業にノウハウがないという実態があるのです。そこを改善するための可能性が、この自己病名にはあるのです。べてるの家は就労継続支援B型事業所でもあり、就労支援も大切な活動の1つです。そこで、企業にサポートのノウハウを広めていくための活動を実践しているのか質問したところ、何とすでに企業向けの研修も行っているとのことでした!そこまで進んでいるとは。べてるの家ともつながりがあり当事者研究の研究を進める小児科医(脳性まひ当事者)熊谷晋一郎氏の名著『リハビリの夜』を看護学生達に「絶対読んだ方がいいよ!」と強く勧め、オリエンテーションは終了しました。

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 看護学生達の指導教諭が来訪し、学生達のミーティングに交ぜてもらおうとしたところで、悦子さんが私に声をかけてくれました。べてるまつりの打ち合わせのためにべてるの家に戻ってきていた理事の向谷地生良氏が、あるメンバーの「応援カンファレンス」を行うというのです。応援カンファレンスとは、必要に応じて臨時的に行う相談活動のことです。生良氏のカンファレンスを直々に見ることができるなんて、滅多にあることではありません。機転を利かせてくれた悦子さんに感謝です。メンバーは若い男性で、相談の内容は悪いお友達(?)との付き合いのなかで暴力沙汰に巻き込まれてしまい、どう対処したらいいのかわからないということでした。生良氏はそのメンバーがことの顛末を書き出した紙を見ながら、粛々と話を聴いていました。出来事の事実関係とその時の心情を確認しながら的確にアドバイスを与えていく過程は、教育現場で行う生徒指導に通じるものがあると感じました。

 ここで私の「弱さの情報公開」なのですが、応援カンファレンスを見ている間、強力な「睡魔さん」に襲われていました。失礼な話ではありますが、本当のことです。身体もユラユラしていたのではないかと思います。「睡魔さん」が来る条件として、イスに座っていること、寝不足であることがあると発見しました。

 カンファレンスが終わると、一階の協同オフィスでは、べてるの家の機関誌Bethelmondeの編集が行われていました。べてるの家には「一人一起業」という理念があり、仕事を求めて集まったメンバーが立ち上げた協同労働オフィス「いいっ所」があります。一人一起業!?「労働政策フォーラムに行ってきました。―新しい生き方・働き方とは?―」という記事で雇われない生き方にスポットを当て始めた社会の動きについて取り上げ、私としては新しい世の中の流れを発見したつもりでしたが、べてるの家ではとっくに取り組んでいたわけです。雇われるために企業に自分を適応させるのではなく、自分を活かす場所を自力で切実に立ち上げる道を開拓してきたのです。社会福祉法人でありながら、べてるの家は多様な働き方の探求において最先端にあるのではないでしょうか。私が「一人一起業」という理念に関心を示すと、生良氏が協同労働について説明してくれました(詳しくはリンクを見てね)。ここにきて、べてるの家という組織の全貌をぼんやりとでも垣間見ることができたような気がしました。べてるの家の取り組みは「福祉」や「労働」という枠を飛び越え、人間の幸福な生き方を包括的に研究・実践している、そんな印象を受けました。障害や病気を克服するのではなく、うまく付き合うという方法を取ることで「より良く生きる」という意味を本質的に切実に考え、実践していく光景がここにはありました。いうなれば「幸せな生き方研究」です。自分のことを「健常者」「健康体」であると思っている人たちも、べてるのメンバーの生き方から学ぶことはたくさんあると思います。

 べてるの家の魅力はスタッフさんたちの明るさにもあります。夕方になり、メンバーが帰った後にスタッフミーティングを開いていました。すると、メンバーのSさんからスタッフの携帯に電話が入りました。要件は「スタッフのYさんにいじめられている」とのこと。Yさんを含むスタッフさんたちは顔を見合わせてしまいました。するとYさんは「そうなの。じつはかげでね・・・」(げんこつで殴るしぐさ)「島根では番長と呼ばれててね」(Yさんは島根出身らしい)といってその場を盛り上げました(Yさんが一番楽しそうでした)。一時間ほどしてまたSさんから「本当はいじめられてないのに、いじめられていると触れまわってしまったことをYさんに謝りたい」という電話があり、次のSSTで謝る練習をすることに決まりました。こんなエピソードも、べてるの家ではよくある話のようです。

 その後も続くスタッフミーティングでは、生良氏からべてるの家の今後の取り組みについて様々な提案がなされました。例えば、全国の当事者研究を実践する施設の情報を集め、ウィキペディアのような当事者研究の全国的なスキルバンクを立ち上げようという計画や、これまでのべてるの家の当事者研究に関するデータを全てまとめて整理しデータベースを作るという計画です。今後もべてるの家の動向から目が離せません。見学に関して言えば、全体的にとても楽しかったです。見学がここまで楽しい社会福祉法人もかなり珍しいのではないでしょうか。

 その日はなんと浦河のお祭りがあり、日高地方最大の花火大会があるということで、ミーティングを途中で抜けて祭りに行ってきました。たくさんの人が集まっていて、浦河の人達の郷土愛を感じたひとときでした。

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 浦河の旅はこれにておしまいです。翌日は朝のバスで札幌に向かい、おみやげを買って帰りました。じゃがぽっくるは美味しいだけじゃなく、ネーミングセンスも抜群ですね。

おまけ
さすがは北海道で、食事はとてもおいしかったです。いろいろ美味しいものにめぐりあいましたが、この旅行で食べたもののうち一番おいしかったのは、スタッフミーティング中に生良氏がどこかで買ってきたトウモロコシでした。めちゃくちゃ甘くて、思わず「うまっ!」と声を漏らすほどでした。

2日目には、べてるの家はいつもぱぴぷぺぽでおなじみ、べてる専属のイラストレーター、すずきゆうこさんともお会いできました。彼女の連れていた娘さんは、ヤンセンファーマという製薬会社のコラボキティのぬいぐるみを持っていました。このキティちゃんは手術着を着ているのですが、帽子に耳を通す穴があいているので、パンツをかぶっているようにしか見えませんでした

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2012年8月18日 (土)

ブラック企業大賞と、犯罪容疑者の実名報道の是非

 今回は法律に関する話題ですが、法律のことなんてこれっぽっちも勉強したことのないQ崎がわずかな知識を振り絞って書きます。また、今回は私個人の意見をたっぷり盛り込んでいますので、突っ込みどころが多々あるのではないかと思います。ぜひたくさんのコメントをお願いします。

 さて、ブラック企業大賞2012という催しがネット界隈で一時期話題になりました。ブラック企業撲滅デモなんてものを企画した身としてはこの催しの趣旨には大きく賛同しますし、正直なところ「いいぞ!もっとやれ!」と思いました。しかし、同時に「こんなことやっちゃっていいの?」とも思いました。というのも、私がブラック企業撲滅デモを企画した時にも、同じようにブラック企業の情報を集めてデモ行進をしながら社名を挙げて糾弾しようということも考えたからです。しかし、結局のところそれは行いませんでした。それは、情報が寄せられた企業が本当にブラックかどうかを検証する術がなかったのと、事実であってもある個人や団体に不利益となる情報を公開すると名誉毀損に当たる場合があるからです。つまり、会社名を挙げて「この企業は社員を過労に追い込むブラック企業だ!」と糾弾することはできないのです。これはネットでの情報発信にも当てはまるので、皆さんもお気をつけください

 「え~!なんで法律に違反している悪い企業の情報を広めることが罪に問われるんだ?」と思いますよね。私は思いました。悪いやつらが不利益を被るのは当然で、それを禁止するのは社会正義に反するではないかと。しかし、それにもちゃんと理由がありました。それは「私刑の禁止」です。犯罪者に対する刑罰は、司法機関が刑量を決めて実行します。その権限は司法機関のみに与えられています。これを公権力以外の個人や団体に与えてしまったら、とても恐ろしいことになります。法律が特定の個人や団体の思い通りに利用されてしまう可能性があるからです。

 個人がインターネットなどを使ってブラック企業の実態を告発することは、この私刑にあたります。例え実際に犯罪行為が行われていてもそうです。しかし、ここで1つ疑問が浮かび上がります。それは、報道機関による犯罪容疑者の実名報道は私刑にあたるのかということです。ごく日常的に行われていることなのであまり疑問を感じることではないかもしれませんが、改めて考えてみると不思議なことです。結論から言えば、これは私刑にあたります。少年法第61条では未成年の触法少年の実名の公表を禁止しています。つまり、実名報道の社会的制裁としての影響力を認めていることになります。だとすれば、その対象の年齢に関わらず実名報道は禁止するべきです。報道機関は司法機関でも懲罰機関でもありません。また、日本の報道機関はまだ刑の確定していない「容疑者」の段階で実名を報道しています。これは報道倫理に関わる大きな問題です。

 さて、犯罪者に対しては司法機関から罰が与えられ、罪を償うことになります。理屈では、そうして償いを果たせばそれ以上の制裁を受ける必要はありません。本来であれば前科があるとか、犯罪容疑がかけられたとかいうことで不利益を被るようなことがあってはいけないのです。「そんなの甘い!」と思う人もいるかもしれませんが、であれば厳罰化を訴える方向で話を進めるべきです。私刑が禁止されている以上、司法機関によらない社会的制裁は差別にあたると考えるのが妥当です。

 では、企業の労基法違反に関してはどう考えるべきでしょうか。現在では、社名の公表があるどころか、そもそも犯罪として認識されていません。これはヤバイです。では、仮に労基法違反が適切に取り締まられるようになった場合、ニュースで「株式会社○○で労基法違反が行われ、経営者の○○氏に賠償が請求されています。」とアナウンスされるようにするべきでしょうか。

 CSRという概念が日本でも普及して久しいですが、この根底にあるのは、企業という社会への大きな影響力を持つ組織は、より大きな責任を負うべきだという考えではないでしょうか。また、実名報道をするべきだと主張する人達も匿名で報道するべきだと主張する人達も、社会的な影響力の大きい公人に関しては、実名で報道するべきだという共通する意見を持っています。また、刑法では、名誉毀損行為が公共の利害に関する事実に係るもので、公益を図る目的であった場合には、名誉毀損罪にはあたらないとする規定があります。以上の2点を考慮すると、労基法違反などの法令違反のあった企業の情報は積極的に公開すべきであるという結論が導かれます。また、公共の利害という点を考慮すれば、企業の法令違反の情報は厚生労働省などの公的機関が公式に行うべきではないでしょうか。「過労死防止基本法」制定実行委員会では、過労死として労災認定をうけた従業員がいる企業名の公開を求める訴訟に関する情報をまとめています。

現在審議中の、過労死を出した企業名公表裁判を紹介します。

私は実行委員会の主張に全面的に同意します。人命の保護は他の社会正義より優先するべきものですし、公的機関の行う情報公開は私的制裁にはあたりません。過労死は労働法規の違反がいくつも重なった結果生じるものであり、企業による犯罪行為の抑止という観点からは、個々の法令違反を1つずつ洗い出していく作業が必要になるでしょう。なお、東京新聞によると、今回の訴訟の控訴審は今月中に結審を迎えるとのことです。

<過労社会>過労死遺族ら「国は企業名公表を」 地裁開示命令も黒塗りのまま

 私の主張をまとめると、個人の犯罪行為に関しては実名報道は控え、公人及び企業の犯罪行為は公共の利害の観点から実名で報道するべきだというものになります。企業の違法行為に関しては、当然不買運動などの社会的制裁を受けるべきであるし、私たちには企業を適切に評価する消費市民としての責任があります。また、それ以前に厚生労働省や労働基準監督局の取り組みを見直し、企業の違法行為を適切に取り締まる土壌を形成しなくてはなりません。

 さて、話をブラック企業大賞に戻しましょう。ブラック企業大賞では、特定の企業に対し名指しでブラック企業であると公表していますので、名誉毀損罪に該当する可能性が高いです。しかし、企画委員会のメンバーには弁護士も入っていますし、そんなことは承知の上なのでしょう。「過労死防止基本法」制定実行委員会が「公式に公表しろ」といわば正攻法で訴えているのに対し、ブラック企業大賞は「お上がやるべきことをやらないなら、オレたちが勝手にやっちゃうよ」という変化球で勝負しているのではないでしょうか。法的にはアウトである可能性が高いのですが、ブラック企業大賞の取り組みは社会正義の実現のために取るべき手段の選考という観点において、非常に重要な問題提起でもあります。現在の人権の獲得のために必要不可欠であった市民革命にしても、当時の枠組みではテロ行為なわけですし。この点に関しては、企画委員会に直接伺ってみたいと思います。

 企業名公表を求める訴訟の行く末と、ブラック企業大賞への問い合わせの結果はまた記事にしてみなさんにお伝えしたいと思います。これからもQ崎さんのブログをよろしくお願いします。

2012年8月11日 (土)

「フツーの仕事がしたい」に学ぶ労組の役割と、「1人」の持つ可能性

みなさん、元気にお過ごしですか?

 私は先日、御茶ノ水のPARC自由学校で開催された「フツーの仕事がしたい」という映画の上映会に行ってきました。タイトルから想像できる通り、この映画はブラック企業の凄惨な実態を記録したドキュメンタリー映画です。主人公はバラセメントの輸送事業を行う企業に勤める皆倉さんという男性です。彼は高校卒業後、ドライバーとして運送会社に勤めます。彼の勤める企業の給与システムは完全歩合制という違法なものでした。彼の勤務時間は多いときで月に552時間。トラックで寝起きすることもざらにあり、彼は健康を損ねていきます。本気でヤバイと思った彼は、どんな職業の人でも加入できる労働組合に相談します。そして、会社との闘いが始まるのですが、そこに待っていたのは労組脱退を強要する脅迫との闘いの日々でした。

 というのがこの映画の前半のあらすじです。監督の土屋トカチ氏によると、不当な脅迫の証拠映像を撮るように依頼されたのがこの作品の始まりであり、当初はドキュメンタリー映画を撮るつもりではなかったとのことです。こちらの記事に監督の土屋トカチ氏のコメントが載っていますので、この映画について詳しく知りたい方はご覧ください。

ドキュメンタリー映画「フツーの仕事がしたい」を制作して

 こちらの作品、他の労働組合の人から「主人公が加入している労組の宣伝じゃないか!」と批判されることもあるそうなんですが、なんと海外13カ国の映画祭で上映され、そのうちイギリスとアラブ首長国連邦では賞を受賞しています。ただの宣伝目的で作られた映画なら、そのような賞を受賞することもなかったでしょう。

 映画自体ももちろん大変有意義なもので多くの人に観ていただきたいのですが、上映後の監督のコメントがとにかく素晴らしかったのです。監督のトカチ氏は取材のため長期にわたり皆倉さんとともに職場を訪れ、彼の悔しさや怒りを肌で感じてきました。その過程を涙ながらに語るトカチ氏の姿からは、彼の本気さが伝わってきました。

 そして、彼の話の中で私が最も面白いと感じたのは、海外での上映を行った際のお客さんの反応に国ごとにかなり違いがあったというエピソードでした。台湾や香港では「日本人はお金持ちで、誰もが美味しい食事や快適な家を手に入れることができて、みんな幸せに暮らしているのだと思っていた。こんな苦労しながら生きている人がいるなんて信じられない。」という感想をよく耳にしたそうです。まだ一億総中流というイメージがあるのでしょう。ヨーロッパでは、主人公に対して同情的な反応はなく、厳しい意見が多かったそうです。「こんな大変なことになる前に、なんでもっと早く闘わないんだ。会社のいいなりになりっぱなしなんて、日本人は愚かだ。仕事しかない生活なんて、生きている意味がない。」という意見が聞かれたそうです。日本人との人権に対する意識の差が浮き彫りになっています。アメリカでは、70分の上映時間のうち、最も盛り上がったのはエンドロールで「彼の勤めていた会社は事実上倒産した」という字幕が出た時だそうです。やはりアメリカではこういった勧善懲悪的な展開が好まれるのでしょうか。1つの映画に対するリアクションからも、国民性が垣間見えるという興味深いエピソードでした。私個人としては、ヨーロッパの人達の考えを支持したいですね。日本の労働に対する独特な風土の中で、1人闘うことを決めた皆倉さんの勇気には本当に頭が下がります。

 彼は高い教養があるわけではなく、またあくまで私の印象ですが特別正義感が強い人物というわけでもありません。そんな彼が「このままじゃまずい」という感覚に従い、行動を起こしたことで業界に大きな影響を与えたという事実に、とても大切な教訓が込められているように感じます。今私たちが価値を見直すべきなのは、教条的な正義や規律ではなく、人間の根底にあるより良く生きたいという欲求ではないでしょうか

 皆倉さんの仕事であるバラセメントの輸送は、就労者の数がそこまで多くない業界のようで、会社との今回の1件で業界の中で一躍有名人になったそうです。ブラックな待遇が当たり前だった業界の中で、会社と真正面から交渉し、待遇改善を勝ち取ったというのはそれほど異例のことだったのです。そして、彼の行動が業界全体に投げかけた波紋も思いの他大きかったらしく、他者に勤める同業者の中でも待遇改善の必要性を考える動きが出てきているそうです。

 トカチ氏は、「近年では波風を立てずに物事を解決するのが良しとされる風潮があり、闘うべき場面が見過ごされているのではないかと感じる」というコメントを残していました。権利を勝ち取るために闘うことは決して恥ずべきことではなく、むしろ称賛されるはずのことです。上映会に参加して改めて感じました。これからも社会正義のためにカメラを動かす土屋トカチ監督から目が離せません!

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