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2013年5月 1日 (水)

もともとビジネスってソーシャルなものなんじゃないか? 職業に貴賤はあるか

 今回の記事ではビジネスについて考えていきたいと思います。さて、ソーシャルビジネスという言葉が普及して久しいですね。ソーシャルビジネスとは、ざっくり言うと「社会問題の解決を第一目的としたビジネス」のことです。一般に言うビジネスは利益を得ることを最優先課題としているので、そこが最も大きく異なる点だと言えるでしょう。慈善事業と何が違うのかと言えば、一般的に慈善事業は無償で行うことが多く、その活動資金の多くは寄付や補助金で賄っています。すると、政府の財政状況や景気動向によって安定的に活動資金を得ることが難しくなってしまうという問題が生じてきました。そこで、事業自体に収益性を持たせることによって継続的に活動できるようにしようと考え、そうして生み出されたのがソーシャルビジネスというわけです。こちらの記事にわかりやすい解説がありますので、ぜひ読んでみてください。一方的な援助ではなく、被援助者の潜在力を高めるという点に注目している素晴らしい記事です。

第1回 社会を良くするビジネスって? ~社会起業って何?

 上記の記事でも触れていますが、あらゆるビジネスは社会の必要を満たすものであり(必要とされているものだから売れる)、そもそもビジネスとは社会的利益をもたらすものであるのです。これが、労働が尊いものとされる所以でしょう。また企業活動は、地域資源を活用したり、雇用を生み出したり、様々な利益を地域社会にもたらします。はい!ここでタイトルの「もともとビジネスってソーシャルなものなんじゃないか?」という発想が生まれるわけです。ところがどっこい、市場が成熟した現代においては必ずしもそうではなくなってしまっているというのが、今回の記事のメインテーマです。どっこい。

 終戦直後の日本では、いたるところで物資が不足していたわけですから、農業による食料品の生産はもちろんのこと、物を作ることは人々の生活の糧を満たすことにつながっていました。GHQによる財閥解体、農地改革、労働組合の育成も加わり、それまで貧しかった人にもお金が回るようになっていきます。そして、朝鮮戦争を背景とする特需景気により、日本は高度経済成長期を迎えます。生産技術の発達も相まって、電化製品の普及やインフラの整備が進み、人々の生活はどんどん便利になっていきました。まさにビジネス=ソーシャルという図式が成り立っていたわけです。もちろん、その背景には公害等の問題もあり、ビジネスの負の側面が顕在化しました。しかし、「物を作り売る営み」自体に社会貢献的な意味合いがあったという側面とは、ここでは切り離して考えたいと思います。そういった外部不経済の問題に関しては、関係する企業がコストを支払って当然解決するべき問題であることに議論の余地は無いように思います。

 時代が進み市場が成熟すると、この「物を作り売る営み」の意味合いが変わってきます。生活必需品は安価で手に入るようになり、便利なものも以前より手軽に入手できるようになりました。いまや子どもだって携帯電話を持つ時代です。「物を作って売る営み」が社会の必要を満たすという役割を担っていた時代では、マーケティングなど考えなくても商品は売れましたが、市場の成熟化とともに物を作れば売れるわけではなくなってきたわけです。企業としては「必要ではないが、あれば良い気分になれるもの」を生産し、また売る必要が出てきました。物を売るためには需要が必要です。いわばこの需要を作り出す(欲しいと思わせる)とこも企業の役割に加わってしまったのです。そのような状況を、社会学者の渡邊太氏は『愛とユーモアの社会運動論 末期資本主義社会を生きるために』の中でこのように説明しています。

 自己増殖する資本の運動は、生産されるモノとサービスの消費を要請する。資本が常食すれば、それだけ生産規模は拡大し、大量の商品が市場に投入される。大量生産のプロセスは、大量消費のプロセスによって補完されなければならない。生命維持のために必要なものを購入する段階を越えて、べつになくてもよいものを購入する消費行動が消費の主たる部分を占めるようになった段階は、消費社会と呼ばれる。(中略)
 消費への欲望は資本の運動によって要請されている。消費者が必要でないにもかかわらずモノを欲望するのは、資本の理論によって欲望を抱くべく促されているからである。だが、そうして新たに購入したモノは、すぐに魅力を失い、また別の新しいモノが欲しくなるだろう。モノは、死滅してこそ新たな生産と消費を駆動するからである。(中略)
 おそらく今日のわたしたちは、以前の世代と比べると何倍もの過剰な消費によって生活を組み立てている。だが、わたしたちは日々、ぜいたくをして暮らしているという実感をもっているだろうか。過剰に消費しながら生活を営んでいるにもかかわらず、むしろ余裕などなく、どうにかこうにか生活をやりくりしているという感覚でいるのではないだろうか。
 アメリカ社会におけるゆき過ぎた消費社会を批判したジュリエット・ショアは、消費社会では気前よく消費している充足感は得られず、どうにかこうにかやっているという感覚が低所得層から高所得層にいたるまであらゆる階層に共通する一般的感覚であると指摘する。(中略)
 そもそも消費への欲望が生じるのは、ショアによれば、消費主義の文化が人々のアイデンティティをとらえているからである。あなたが何者であるかは、あなたが何を買っているかでわかる(You are what you buy)というわけだ。これが地位を誇示するステータス競争の心理と結合すると、厄介である。(中略)
 人々がそれぞれに準拠集団を設定し、追いつけ追い越せ式に消費競争に励むと、お互いに遅れをとるまいとますます競争を加速化させていくほかない状態にいたる。人並みでありたいと願う中産階級的な欲望がここでも不幸なかたちで機能する。結果として、わたしたちは消費すればするほど余裕がない状態に陥る。収入が増加しても暮らしのゆとりがいっこうに生まれないのは、そのためである。追加所得があれば、わたしたちはその分、さらなる消費へと突き進む。年収が増加すれば、増加した年収に見合うだけの、いや実際にはそれを上回る消費水準の上昇がともなう。過労と浪費のマッチポンプである。どれだけ働いても暮らしは楽にならず、石川啄木でなくてもじっと手を眺めるほかない。

私たちには元来「人と違っていたい」「人より抜きん出ていたい」という欲求があります。その実現の手段として、消費というのは資本主義社会を背景として非常に相性がいいわけですね。企業が「欲しがらせる」ことに力を注いでいることをもっとわかりやすく示す例として、有名なものに国内広告会社最大手の電通の「戦略十訓」があります。現在では使われていないもののようですが、その中身を紹介しましょう。

1. もっと使わせろ
2. 捨てさせろ
3. 無駄使いさせろ
4. 季節を忘れさせろ
5. 贈り物をさせろ
6. 組み合わせで買わせろ
7. きっかけを投じろ
8. 流行遅れにさせろ
9. 気安く買わせろ
10. 混乱をつくり出せ

「無駄遣い」という露骨な表現からわかるように、必要のないものまで欲しがらせることをいかに企業が重視していたか、この社訓によく表れています。この社訓は1970年代に提唱されたものですが、高度成長の真っただ中においても、市場の成熟化は着実に進んでいたのでしょう。必要なものを生み出す社会から、必要ないものを欲しがらせる社会へと、私たちの生きる社会は姿を変えてきました。さて、こうして「欲しがらせる」ことによって生まれた消費はまだ「無駄遣い」というレベルのものであり、それ自体は仕方のないものなのかもしれません。しかし、「欲しがらせる」ことが問題化され、消費者庁が動かざるを得なくなる事態が生じました。ソーシャルゲームへの課金に対して規制が敷かれるようになった経緯に関しては、みなさんの記憶にも新しいとこだと思います。企業による「欲しがらせる」活動は、その方法や程度によっては社会にとって有害なものになるという社会的合意ができつつあるのでしょう。

 では、高度に成熟化した経済市場に生きる私たちは、どのように働き、お金を稼ぐことが求められているのでしょうか。それは、「社会に必要とされるものを作って売る」というビジネスの原点に回帰することであると私は思います。確かに、生活必需品は安価で手に入るようになりましたが、それで私たちの必要がすべて満たされていると言えるでしょうか。現在の日本においても様々な社会問題が存在します。それは、年間3万件を超える自殺の問題であったり、経済力による教育機会の不均等の問題であったり、急速に進む少子高齢化の問題であったり、枚挙に暇がないほど存在します。それらを需要として捉え、その解消によって利益を得ることができれば、それは社会の必要を満たす本当の仕事と言えるでしょう。ただ、それらに収益性があるのであれば、既存の企業がすでに事業として参入している可能性が高いと言えます。本来であれば、そのような事業は公共事業として政府が責任を持って取り組むべきものなのでしょう。しかし、そこに収益を得るための仕組みを開発することで、ビジネスの手法によってその解決が可能になるでしょう。その成功例として、病児保育を行うNPO法人フローレンスがあります。その収益性の難しさから取り組む団体がほぼ存在しなかった状況から、安定的に収益を上げる仕組みを開発し、少しずつ事業を拡大しています。

 それが簡単にできるなら苦労はしないよ、と多くの人が思うでしょう。それに、みんながみんなそういう善意で動くわけじゃないという意見もあるでしょう。その通りだと思いますし、どんな綺麗事を言ったってお金を稼がなければ生きていくことができません。しかし、そういう社会の必要を満たすビジネスだからこそビジネスとして成功するのだと主張する人がいます。それは、7万社以上のスモールビジネスを成功に導いた起業コンサルタントであるマイケル・E・ガーバーです。彼の起業家育成プログラムのエッセンスをかなり凝縮してまとめた著書、堀越吉太郎著『起業したい人への16の質問』では、企業理念を明文化した事業計画書を作るための16の質問項目を紹介しています。その初めの質問が「現在の社会において、あなたが一番解決しなくてはいけないと思っている問題は何ですか?」というものです。ガーバーは、成功を収めた偉大な起業家は社会的な夢、インパーソナルドリームをもとに事業を行っていると言います。その例として紹介されているのが、ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行の事業です。この本ではその他にも、従業員の7割が知的障害者である日本理化学工業や、海外難民視力支援活動で知られる富士メガネを紹介しています。ここまで読んだら「その本ってソーシャルビジネスの本なの?」と思うでしょうが、この本にはソーシャルビジネスという言葉が唯の一度も出てきません。おそらくガーバーはソーシャルビジネスというものを特別視していないのでしょう。彼は「ビジネスで成功したいなら、社会の必要を満たす事業を起こしなさい」と言っているわけです。それは市場が成熟しているか否かは関係なく、ビジネスの成功における重要な条件ということなのでしょう。

 「職業に貴賤はない」と言いますが、これは稼ぎの大きさによって単純に仕事の価値を図ることはできないということを意味する言葉です。しかし、これが成り立つには「いかなる職業も社会に必要とされているのだから」という前提が必要になります。私はここで「職業に貴賤はある」と言いたいと思います。その基準は、その職業によって得られる収入の大きさではなく、社会の必要を満たすビジネスであるかどうかということです。売り手が無理矢理ニーズを作り出すマッチポンプのような仕事より、現存するニーズを埋める仕事の方が価値は高いと言えるでしょう。そして、そのような価値の高い仕事ほどビジネスとして成功しやすいという背景は、これからの職業観を考えるうえで重要な要素と言えるでしょう。

5/9 追記
 経済についてわかりやすくまとめているサイトを見ていたら、こんな記述を見つけました。政治経済塾「日本の企業」より。

 というわけで、独占の進んだ業界の商品は、同じような価格で売っているものがほとんどです。缶ジュースは120円、ペットボトルは150円、板チョコは100円、アイスクリームも100円、肉まんは88円といった具合です。その結果更なる問題が発生します。通常、商品というのは、お客さんに買ってもらおうと思ったら、値下げすることもありますが、管理価格というのは値段が固定されています。だから、企業は値下げ以外の方法で商品をアピールするようになります。その結果、企業がよく夢中になるのが、テレビなどのCM競争だし、最近よく目にするのがおまけによる競争です。このような値下げによらない競争のことを非価格競争といいます。とにかく、値段を下げることができないわけですから、そのほかのイメージやおまけでその商品をアピールするわけです。でも、みなさん冷静に考えてください。「明治アーモンドチョコレートは、ベッカムに何億円という出演料を払うなら、200円を150円ぐらいにしてくれよ!」「ペプシ・コーラはガンダムのボトルキャップを作る金があるんだったら150円を130円ぐらいにはできるだろ!」というわけで、けっこうこの非価格競争というのも、消費者にとってはよけいなものだといえるのかもしれません。

 さらに、管理価格というのは値段が上がる一方で下がらなくなる価格の下方硬直化と呼ばれる現象も引き起こします。その会社のブランドというのがますます強力になり、しかも、CMなどの非価格競争に会社がお金をかけ過ぎるとその経費を商品の値段に上乗せするために、その商品の更なる値上げが引き起こされます。というわけで飛垣内が中学生の時には缶ジュースは100円だったのが、その後110円、120円と値上げされていきました。これはそれぐらい値上げしても売れるという自信をジュース業界のプライス・リーダーであるコカ・コーラが持っているからと、オリンピックのスポンサー料や多額のCM制作費などで経費が多くかかるようになってきたような背景もありました。少数の独占企業がもうけを増やすために価格を引き上げていく・・・、管理価格はまさに消費者の敵であると思います。

 
 
必要とされていない物を売るためには、販促のための費用をたくさんかけます。そして、その経費は価格に上乗せされます。「欲しがらせる」ためにかかった費用を最終的に負担するのはその商品を買った消費者です。究極的なマッチポンプというか、資源を効率的に分配するという経済活動の本文から大きくズレたところに現代の経済はあると言えるのではないでしょうか。

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