フォト

twitter

ほしい物リスト

無料ブログはココログ

« 経済学講座「逆選択とブラック企業」 | トップページ | 理不尽に直面した時の正しい対処法はなんだろう »

2013年11月 1日 (金)

現時点で考えられるブラック企業問題の解決策の最適解は何なのか

 以前に比べると、ブラック企業という言葉に象徴される労働に関係する問題への関心はだいぶ高まっているように感じます。労働基準監督官を主人公として描いた「ダンダリン」というドラマも始まりました。視聴率はあまり芳しくないようですが、それでも労働問題をストレートに扱うドラマが全国ネットで放送されるというのは、今までになかったことではないでしょうか。また、私の他にも働き方に関する記事を書いている人は多く存在し、様々な意見が飛び交っています。やはりそれだけ世の中の関心の高まっている話題だということでしょう。それらの意見を参考に、現時点で考えられるブラック企業の問題を根本的に解決するための解決策の方向性を考えてみました。これまでに書いた記事の繰り返しも含むと思いますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

 ブラック企業問題を解決する有効な方法は、大きく分けて2つあります。1つは「余暇時間を有効に使って人生を楽しむことそのものに価値を見出すこと」です。この言葉だけを見ると、そんなの当たり前のことじゃないかと思うかもしれません。しかし、現在の日本社会でメジャーと思われる労働観、人生観はそうではないように感じます。以前「労働時間規制は必要だ 個人の努力にも規制は必要か?」という記事で電脳クラゲさんの「業務効率化だけでは残業はなくならない」という記事を紹介しました。その記事では、業務の効率化によって浮いた時間は勤務時間の短縮ではなく、さらなる業績の向上のために費やされてしまうために長時間勤務の解消にはつながらないという点が指摘されていました。これは資本主義経済の本質を点く指摘と言えるでしょう。
 経済学や会計学の用語に機会原価という言葉があります。機会原価とは、いくつかのビジネスプランがあり、そのうち1つしか実行できないという状況で、採用しなかった代替案のうち最も価値が高いものを指す言葉です。例えば日雇いで働いているとして、日給10000円の仕事と8000円の仕事と6000円の仕事があり、8000円の仕事を選んだとすれば機会原価は10000円ということになります。これはつまり「8000円の仕事を選ばなければ10000円を得ることができた」と解釈することになります。それが機会原価という考え方です。では、ここで「働かないで休む」という選択をしたらどうなるでしょう。この場合も機会原価は10000円です。つまり「休むという選択をしなければ10000円得ることができた」と考えることになります。例えば、その日は1日家で読書などをしてのんびり過ごし、現金支出がなかったとしたら、それは損も得もしていないことになります。しかし機会原価の考え方では、それは「10000円損した」となるのです。8000円の仕事を選んだ場合も同様で、「8000円得た」と考えるのではなく「2000円損した」と考えるのです。つまり、機会原価とは「人間は時間と体力と技術があれば可能な限り多くの給料を得るためにそれらを費やすものだ」という考え方を前提にしているのです。しかし、私たちはこの考えが必ずしも現実を正確に表したものではないと直感的に感じます。私たちはお金を増やすことを常に至上命題として行動しているわけではありません。その瞬間の満足を大きくするためにお金を消費しているのです。例えば、お金がたくさんあるなら、利回りの良い投資案件に投資すれば将来の収入をさらに増やすことになります。ただ銀行に預けておくだけでも僅かであっても利子が付きます。それでも、車が好きな人なら、車そのものを得るための費用だけでなくローンにかかる利子や駐車場代や税金などの支出も惜しまず車を買うでしょう。それは、お金そのものではなく、車を所有するという現時点での満足を優先しているからです。これが私たちの日常的な消費行動なのではないでしょうか。休むことも同様であり、その日働くことで得られる給料より休むということに価値を見出すことも人間としてごく当たり前の事なのです。
 にもかかわらず、現代の日本社会では機会原価の考え方を地でいくような労働観が主流であるように感じられます。例えば、36協定という労使間で結ばれる時間外労働についての協定がそれを象徴しています。36協定は、この協定さえ結べばどれだけ時間外労働させても構わないというものではありません。厚生労働省は36協定を結んだうえでの時間外労働時間に上限を設けています。こちらの資料にその一覧があります。

時間外労働の 限度に関する基準 - 厚生労働省

さて、これを読んで何か奇妙な点があるのに気がつきましたか?割増賃金の支払いの項目を見ると、「月60時間を超える時間外労働については5割以上」という記述があるのですが、これは一ヶ月の時間外労働の限度時間である45時間を超えた範囲の労働について割増賃金の規定が存在することになります。よく調べてみると、厚労省の定める基準に法的拘束力はあるものの、36協定に特別条項を設けることによって60時間を超える時間外労働も可能ということになっています。基本となる労働時間規制は労働基準法の定める1日8時間であり、その例外として36協定のプラス月45時間まで、さらにその例外として月60時間以上もOKというルールになっています。しかし、例外を1つ認めてしまうと歯止めがきかなくなるのはよくある話で、今では月60時間以上の時間外労働など珍しくもなんともないものになっています。こんな状況を前に「労働時間規制なら日本にも労働基準法もあるでしょ?」なんて言ったって何の意味も持たないわけです。実質的に日本には労働時間を規制する公的な制度がありません。
 また重要なのがこの例外である36協定はあくまで労使間の合意によって結ばれているものだということです。もちろん権力の非対称性はあるにしても、労働者の側にも「時間に余裕があるなら少しでも多く稼ぎたい」という希望を持つ人が少なからず存在するということになります。そのこと自体は問題ではないのですが、社会の仕組みは多数派に合わせてデザインされていき、結果として長時間労働が状態化した現在の日本社会の状況があるわけです。
 そのような状況ですから、冒頭でも指摘したとおり業務をどれほど効率化しただけでは、勤務時間の短縮にはつながりません。これまでも、産業機械の発達やITの普及などによって業務の効率化は格段に進みましたが、それらの成果は勤務時間の短縮ではなく業績の向上に振り向けられてきました。現在推し進められている業務の効率化も、そうして普及してきた「便利な技術や道具」に過ぎないわけです。つまるところ、はじめから勤務時間の短縮を目的とした業務の効率化でなければ勤務時間の短縮には繋がりません。少しでも多くの利益を上げるための組織である会社というものに属しながら、それでも勤務時間を短くし、余暇時間を多く確保することそのものに価値を見出す必要があるのです。
 見出す必要があるなどと表現すると、無理やり価値を持たせようとするかのように聞こえますが、元々余暇時間には社会を維持するうえで当然必要なものです。すべての人が持てる力をすべて賃労働に費やしてしまっては、社会は回りません。例えば、フランスでは性別を問わず育児休暇の取得を義務付けています。これは「愛のある強制」と呼ばれたりしていますが、子供の健全な育成には両親が十分に時間と労力をかけることが重要なのは言うまでもありません。愛などという概念を持ち出すまでもなく、健全な社会を維持していく合理的な政策だと言えるでしょう。また、お金は生活を維持したり精神的な満足を得るための手段であるということも今更強調するまでもないでしょう。前述したとおり、車が好きな人は手持ちのお金だけでなく将来の収入が減ってしまおうとも車を買います。グルメな人は美味しいものを食べ、旅行が好きな人は旅行に多くの費用をかけます。「余暇時間を有効に使って人生を楽しむことそのものに価値を見出すこと」とは、それを別の言葉で表現しただけなのです。
 社会問題を解消しようと実際に活動している方々に「社会問題の解決には制度の改善と人々の意識改革とどちらが重要か」という質問を私はよくします。最も多い回答は「どちらも重要なので同時並行して取り組む必要がある」ということです。労働の問題に当てはめるとどうなるでしょうか。日本には労働基準法という立派な労働時間規制が制度として存在しています。しかし、それは例外を設けたために正常に機能していません。制度とは、関係者がその仕組みと意義を理解し、適切に運用することで初めて意味を持つのです。その前段階として、「ただ働くだけの人生なんて意味がない」「余暇を楽しんでこそ意味のある人生だ」「健全に社会を回すには、職場での役割だけでなく家族としての役割や地域市民としての役割も大切だ」という当たり前の価値観を多くの人で共有する必要があります。
 エコノミックアニマルなどと揶揄されるほど経済活動だけを重視してしまう日本人の多くは、金銭的な価値として数字で表されないと幸福というものを認識することができないのかもしれません。その壁を越えるための方策などについて「新しい豊かさの指標」という記事を書きましたし、GNHについてはまた改めて記事を書きたいと思います。

 ブラック企業問題を解決する有効な方法のもう1つは、セーフティネットを健全に運営し、やり直しのできる社会にすることです。さて、余暇時間を重視する価値観が浸透し、労働者の多くが「1日8時間しか働きません。36協定は結びません」という姿勢を取るようになったら、社会はどのように変わるのでしょう。ブラック企業の問題を議論していてよく耳にするのが「労働基準法の通りに経営していたらとても回らない。多くの会社が潰れてしまう」という意見です。また「その時点で経営は失敗しているのだから、そんな会社は潰れたほうがいい」という反論もよく耳にします。理屈の上ではこの反論は全く正しく私も支持したいのですが、現在の日本社会においては、会社が倒産してしまっては経営者も労働者もとても困ったことになるのです。
 冒頭で紹介したドラマ「ダンダリン」の第1話に非常に印象的なシーンがありました。渡辺いっけい扮するブラック企業に勤める営業マンが、彼を救おうとその企業に行政処分を下そうと行動しようとするのを彼が必死に止めるシーンです。彼は以前勤めていた会社が倒産し、やっとの思いで今の会社に再就職しました。家族を養っていくためにも、どんなに不当な目に遭っても会社が潰れるのだけは困るという状況にいたのです。第1話からブラック企業の問題の本質に迫るようなストーリーで、現在多くの労働者の直面している現実をリアルに描き出したものだと感じました。その現実とは、一度失業してしまうと失うものがあまりにも多く、もとの生活水準を得ることが非常に困難だということです。
 前述の「ブラック企業は潰れたほうがいい」という主張や雇用の流動性を高めたほうがいいという主張の多くは、この現実を軽視しているように感じます。それらの主張が意味を持つのは、セーフティネットがいわゆる困窮者だけを対象としたものではなく、一度失業したとしても再出発を容易にする形で機能することが前提条件として必要になるのです。やはり、利益を最大化することを目的とする企業という組織が生活給などの形で社会保障を担っているのは合理的だとは言えません。生活や次世代育成は政府が責任を持って保障し、それ以上の富を労働によって得るという、企業と労働者のドライな契約関係がブラック企業の問題を解消するうえで必要だと言えるでしょう。これに関しては社会保障のシステムを変えるという手続きがどうしても必要になり、労働者の意識改革だけではどうにもならない問題です。こういった問題に取り組んでいる政治家などの情報を追っていきたいものです。

 いかがでしたでしょうか。自分で読み返してみての感想は、当たり前のことしか言っていないということです。ただ、その当たり前のことがあまりにもないがしろにされているという現実があり、その現実にまっすぐ目を向けなければ問題は解決しないということは確かです。問題を問題であると認識し、その解消に向けて前向きに考え行動できる仲間をどんどん増やしていきたいと思う今日このごろです。

« 経済学講座「逆選択とブラック企業」 | トップページ | 理不尽に直面した時の正しい対処法はなんだろう »

社会」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1588989/53794099

この記事へのトラックバック一覧です: 現時点で考えられるブラック企業問題の解決策の最適解は何なのか:

« 経済学講座「逆選択とブラック企業」 | トップページ | 理不尽に直面した時の正しい対処法はなんだろう »

2015年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近のトラックバック