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2014年2月

2014年2月12日 (水)

需要が枯渇した市場の中で消費することの意味 あなたの欲しいものは何ですか?

 前回の記事では、需要が枯渇することによって個人が頑張って働くことの意味がどのように変わるのかを考えてみました。今回は、技術の発達によって必要なものが安価に手に入るようになっていく過程で、需要の質がどのように変化していったのかを考えてみたいと思います。

 この記事を書くきっかけとなった1冊の本との出会いがありました。それがこちら。

中村うさぎ著
欲望の仕掛け人

自らを「資本主義の奴隷」「優秀な消費者(いいカモ、という意味で)」と称する作家の中村うさぎ氏が、様々な業界のビジネスパーソンたちにインタビューを仕掛けたものをまとめた1冊です。インタビューの対象がバラエティーに富んでいて、とても面白い著書でした。10年近く前に出版されたものですが、ここ最近の関心事が「需要が枯渇していく社会のなかでどう働いて生きていけばいいだろう」という問いだった私に見事にマッチするインタビューがありました。それがあの有名オシャレ雑貨店Francfrancを展開する株式会社バルスの代表取締役、髙島郁夫氏のインタビューです。早速該当の箇所を引用してみましょう。

中村 結局、一人ひとりの居場所っていうものがテーマになっていくわけですよね。
髙島 うん。それと、時間。同じお茶を飲むのでも、お茶を飲んでいるこの時間がいつもより豊かに感じる、っていうことじゃないかな。そういうものしか売れないような気がしますね。
 今のお客さんに何が欲しいですかって尋ねたとして、「リンゴが欲しいかな」って言われたからといって、リンゴを渡しても、「いらない」と言われるんですよ。
中村 どうしてですか?
髙島 欲しかったのはリンゴじゃないんですよ。本当はアップルパイかもしれないし、リンゴジュースかもしれない。
中村 じゃ、客がその「リンゴ」にどんな意味を込めたかということを読み取らないといけないわけですね。
髙島 そうそう、その先にあるものをね。頃合なんですよ。
中村 彼女の言うところのリンゴらしさというものは何か、ということなんですね。
髙島 そうですそうです。
中村 それは付加価値だったり、プラスアルファだったりするんですよね。つまり彼女が思うリンゴの中で一番オシャレだったり、気が利いていたり、思いもよらなかったりするようなものがつくと、「そう、これよ、よくわかったわね。それを考えていたのよ」ってなる。
髙島 そう、「欲しかったのは、これなのよ」って。
中村 それが欲しかったわけじゃないんだけども、提案されると、それのような気がしちゃうというわけか。ふんふん、なるほど。
髙島 それが今の商売で一番大事なところかなと思うんです。
中村 そうそう、フランフランにセット商品はないですよね。カップでも全部ニュアンスが違うとか、柄が違ったり。
髙島 あんまりお仕着せしたくないんですね。「どうだ、このセットを買え」みたいになるのは、勘弁してよという。「よかったら買って」ぐらいなスタンスなんですよ。
中村 なるほどね。同じフランフランに行く人でも、部屋の状態はかなり違う感じがしますよね。
髙島 違いますよ。ただ、家の中はひどいと思います、みんな。
中村 そうなのかなあ。みんな可愛い部屋に住んでいるのかと思ってた。
髙島 いや、物を買ううえで、「この物を買う自分って素敵でしょう」になるんですよ。
中村 家に帰っちゃたら、それを維持できないんですか?
髙島 まあ、物を置いたところだけは素敵かもしれないけど、こっち見たら洗濯物はいっぱいあるし。生活って、そういう感じですよね。でも、フランフランで何か買えば素敵な自分の部屋になるんじゃないかな、というところで買っていただいているんでしょうね。
中村 わかった。じゃあ、フランフランは「素敵な自分」を売っているわけですね。
髙島 そうそう。モノじゃないんですよ。その人が、フランフランに行くこととか、そこで時間を過ごすこととか、そこで買ったものと一緒に部屋で過ごすことが、素敵なんだということだと思います。
中村 それでプライベート感が出てくるわけですね。
髙島 わかってあげなきゃいけないんです。お客さんは気持ちよく騙されたいんですよ。
中村 ホストでしたね、今(笑)。
髙島 フェイクなんですよ、商売というのは。特に女性向けの商売はやっぱりホスト的な部分が必要です。そうじゃなかったら買いませんって。
中村 そうですね。私も結局、シャネルマークが象徴する何物かを買っているわけで、バッグが問題なわけじゃなくて、買った瞬間の自分なんですよね。だから、そうやっていい夢を見させてあげて。
髙島 これからの小売は、付加価値がついてないと伸びていかないような気がしますね。だから数字とか式とかで語れるものじゃなくて、感覚的にマーケティングできることが大事。
中村 昔は、生活に必要なものが欲しかった時代ってありますよね。
髙島 高度成長期はね。ものがないわけですから。
中村 冷蔵庫が欲しいとか、カラーテレビが欲しいとか。あれはほんとに生活必需品だったけど、もうすべてが満たされて、生活必需品なんてものは当たり前になってしまったら、人が最後に欲しがるのは何かというと、結局は自分自身という答えになるわけですね。
髙島 自己実現したいんですね、最後は。

社長、そこまでぶっちゃけちゃっていいんですか!?って感じですね。以前「マーケティングは押し売りのやり方を高度化したものだ」というような趣旨の記事を書きましたが、それを小売業でどのように実践しているのかを具体的に示す非常に良質な資料です。

 特に「リンゴ」のくだりは示唆に富んでいます。「リンゴが欲しい」と言われたからといって、リンゴをそのまま渡しても「いらない」という。これはなにもお客さんが天邪鬼というわけではないようです。もしかすると、お客さん自身、自分が何を欲しがっているのかはっきりとは分かっていないのかもしれません。ここで1つ、あるキャッチコピーを思い出しました。1988年に西武百貨店の広告コピーとして糸井重里氏が発表したものです。それは

「ほしいものが、ほしいわ」

消費の中心が「必要なもの」から「欲しいもの」に移り変わっていく時代の消費者の心理をこれほど如実に表現するとは、見事としか言い様がありません。インタビューの終盤でも語られているように、「必要なもの」はわかりやすいものです。喉が乾けば飲み物を、寒さをしのぎたければ暖かい衣服や暖房器具を私たちは迷わず買うでしょう。しかし、「欲しいもの」はそうはいかないようです。マーケティングについて学んでいると「ニーズとウォンツをはっきり区別しなくてはならない」と指摘されることがあります。ニーズとは、消費者の購買行動の原動力となる欲求や欠乏感のことであり、ウォンツとは欲求を満たす具体的な手段を求める感情です。「喉が渇いたから何か飲みたい」という欲求がニーズであり、「お茶が飲みたい」「スポーツドリンクが飲みたい」というのがウォンツです。参考:ニーズ。生活必需品が容易に揃うようになると、ニーズは複雑化してきます。「オシャレに生活したい」「面白いことがしたい」という欲求をぼんやりとは抱えているのですが、それを満たすために具体的にどんな財やサービスを購入すればいいのか、消費者自身にもわからないのです。そうして「ほしいものが、ほしいわ」という心理状態に陥るのですが、正確には「ほしいものをはっきりさせたいわ」といったところでしょうか。

 そもそも、Francfrancのようなオシャレ雑貨の店に足を運ぶとき、「○○を買いに行こう」と明確な目的ではなく、「何かオシャレなものが見つかるかも」という期待が動機になっていることも多いでしょう。お店では、「あなたの欲しいものはこれではありませんか?」とお客さんのウォンツを先回りして商品が揃えられています。そこで「そうそう、これが欲しかったの」と、先回りがお客さんのハートを射止めればめでたく購入ということになります。しかし、それは本当にめでたいことなのかという疑念も残ります。それは、そこで得られる満足感が一過性のものである可能性が高いからです。お店で見つけた「欲しいもの」はあくまで他人に見つけてもらったものであり、お客さん自身が自分の複雑な欲求と向き合い、吟味して見つけたものではないのです。例えば、1回使っただけの化粧品、読まずに積まれた本、クローゼットの場所をとるだけの服など、「なんでこんなの買ったんだっけ?」という買い物の経験が誰しもあるのではないでしょうか。買った瞬間は確かに納得していたはずなのに、月日が経ち、冷静になると本当は「欲しいもの」ではなかったと気づくのです。これが「気持ちよく騙された」ということでしょう。技術の発達により便利なものが多くの人の手に行き渡るようになりました。それを「豊か」だというのかもしれませんが、その先にあるものが一時的な満足を繰り返すことが中心の人生だとしたら、それは果たして幸せなことだと言えるでしょうか

 それならそれでいいというのも1つの選択でしょう。しかし、それでは嫌だという人はどうすればいいのでしょうか。その答えは、「欲しいもの」を見つける面倒な作業を他人に任せず、自分で行うことです。当たり前のことですが、同じ商品でもそれを買うことで得られる満足感は人によって違います。当たり前にもかかわらず、髙島社長が言うように商売の中心がお客さんのニーズを先回りして提案することになるほど、「欲しいもの」を見つけることを小売店に任せる消費者は多いのです。それは、自分の「欲しいもの」を見つけることがそれほど面倒で難しいことなのでしょう。欲求というのはそもそも合理的ではなく、容易に言語化して自覚的に扱えるようなものではないのかもしれません。それでも、複雑怪奇な自分の欲求を分析し、自分の心のそこから欲しいと思うものを見つけ、それを手に入れるために必要な努力をすることができたら、それほど幸せなことはないのかもしれません。「欲しいもの」を見つけることは、突き詰めればどんな人生を生きたいのかを自分に問うことにほかなりません。それこそが、この「豊か」な社会で幸福に生きるために必要な営みなのではないでしょうか。

 『欲望の仕掛け人』のインタビュー記事では、中村うさぎ氏のセリフは可愛いうさぎのアイコンで示してあるのですが、うちのパソコンにはうさぎの記号は出ませんでした。髙島社長と字数を合わせるために苗字での表記にしましたが…

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