フォト

twitter

ほしい物リスト

無料ブログはココログ

« 需要が枯渇した市場の中で消費することの意味 あなたの欲しいものは何ですか? | トップページ | 「努力が報われる社会」とは言うけれど »

2014年4月21日 (月)

映画評「アナと雪の女王」 変えられないものと共に生きる

 ひさびさの更新でひさびさの映画評です。映画評といっても過去に「ヘアスプレー」の記事を書いただけで、特にシリーズ化しているわけではありません。今回取り上げるのはディズニーの最新作「アナと雪の女王」です。ひさびさに記事を書きたくなるほどグッとくる映画に出会いました。
E382a2e3838ae381a8e99baae381aee5a_6

 この映画のすごさって何だろうと考えてみたのですが、なかなか1つに絞ることができませんでした。それはこの映画にはいくつものテーマやメッセージが多層的に盛り込まれているからであり、それこそがこの映画の魅力なのです。映画に限った話ではありませんが、優れた作品であるほど「この作品のテーマは○○です」と簡単に説明できないものです。この作品についてもすでにたくさんの人がレビューを書いています。それぞれのレビューには独自の視点があり、読むたびに新しい発見が得られます。この作品のすごいところは、いくつもの視点から汲み取れるメッセージやテーマ性が矛盾なく1つのストーリーやキャラクターに同居していることです。例えばそれは、素材の持ち味が複雑に絡み合いながら、互いにぶつかり合うことなく調和している上質な料理のようです。

 この映画の魅力はテーマやメッセージの多層性であると冒頭で述べました。それは具体的にどういうことなのでしょう。こちらのブログでもテーマの多層性をこの映画の魅力として取り上げています。

【映画】『アナと雪の女王/Frozen』レビュー ※後半にネタバレあり

とても分かりやすい解説なので、ぜひお読みください。私の記事では、エルサが生まれながらに背負っているものの多層性や作品全体のテーマの多層性に焦点を当てていきたいと思います。

ハンデを抱えていること
まず、これらの記事をお読みください。

アナと雪の女王を同性愛映画だと見られる8つの理由
第38回 ディズニー最新作「アナと雪の女王」は同性愛プロパガンダか?

劇中には魔法の力を持つエルサが同性愛者であることを明示するセリフなどは一切登場しません。よって魔法の力が同性愛の暗示であると断定はできないのですが、暗示と呼ぶにはあまりにもわかりやすい表現が随所に散りばめられています。「わかりやすい」とは言うものの、何の情報収集も行わずにこの映画を見た私は、この暗示に全く気が付きませんでした。あとで上記のレビューを見たとき「うわ~~~!!!そうだったのか!!!」と目から鱗が落ちる思いでした。2つ目の記事でも説明されていますが、エルサの持つ「魔法の力」は「社会的に受け入れられない性的指向」の比喩だと解釈することができます。例えば、「他人に知られてはいけない秘密」として扱っている共通点もありますし、何より重要なのは当人の行動や環境の影響から後天的に獲得したものではなく、先天的に備わっている性質だということです。どうしてそのような性質が備わっているのか自分でも分からずに戸惑い苦悩するエルサの姿は、自身の性的指向を自覚したばかりのセクシャルマイノリティの姿と重なります。聡明なエルサは自身の魔法の力を「隠さなければならないもの」と幼いながらも理解し、両親が亡くなったあとも城の扉を閉ざし続けます。これは、セクシャルマイノリティが自身の性的指向を周囲の人に明らかに(カミングアウト)していない状態を「クローゼット」と呼ぶことに通じるものがあります。そんなエルサにも人前に姿を現さなければならない日が訪れます。王の娘として生まれた彼女は、21才になった年に戴冠式を行い、王位を継ぎます。気づかれるのではないか、うまくやらなければならない、と不安に震えながら戴冠の儀式に向かう姿には、涙を誘うものがありました。
346540view003_3

王位継承者であること
 エルサは雪の女王である前にアレンデール王国の王女でした。つまり、生まれた瞬間から将来的に女王の座に即位することが宿命づけられているのです。それは、大きな富と権力を約束されることであり、ある人から見れば大変羨ましいことです。しかし、職業選択や配偶者の決定などの自由には大きな制限がかかります。また、国の命運を左右する非常に責任の重い立場でもあり、真面目なエルサにとっては喜びよりもプレッシャーの方が大きいのではないでしょうか。身体的な問題である性的指向とは違い、社会制度によって生じている宿命ではありますが、それでも当人の意志によって拒否できるようなものではないという点は共通しています。「ローマの休日」のように、王家の人間としての制限から自由になりたいという願いを題材にした作品は過去にも存在します。一方で、王位が欲しくてたまらない存在としてハンス王子というキャラクターが登場するのは、キャラクターの対比としてとても面白い点です。
7094

長女であること
 姉のエルサと妹のアナの対比もこの作品の重要な要素です。しっかりものの姉とおてんばな妹という設定は、ステレオタイプと言えるかもしれません。それでもそういった兄弟姉妹の関係性に身に覚えのある人も多くいるのではないでしょうか。周囲の人は無意識のうちに長男や長女にその立場に相応しい振る舞いを期待してしまうものです。子供はそういう期待を感じとり、少しずつ「役割」として期待される振る舞いを身に付けていきます。そして当然のことではありますが、自分が何番目の子供として生まれてくるかなどは当人の意思で決められることではありません。あくまで一般的な傾向ではありますが、この映画では「長女はしっかり育つもの」という傾向をかなり強調して表現しています。「Do You Want To Build A Snowman」のシーンで、両親に対してさえ恭しい態度で接するエルサの姿が印象的でした。エルサに対し、妹のアナは明るく前向きな人物として描かれています。姉の戴冠式の日には久しぶりに城を開放するということにテンションは最高潮です。「少しはお姉さんの苦悩を気にかけてやれよ」とも思いますが、アナも思春期を閉ざされた城で寂しく過ごしてきたということを考えると、あのはしゃぎようも当然のことと思えます。
2014031511412271b

 

誰の人生も多層的である
 重要なのはこれらの役割をエルサという1人の人間が背負っているということです。考えてみれば、私たちは年を重ねるごとに様々な役割を背負っていくものです。こちらはNHK Eテレの人気番組「ピタゴラスイッチ」で紹介される「ぼくのおとうさん」という歌です。

ピタゴラスイッチ 「ぼくのおとうさん」 高音質

この歌で歌われているように、人は様々な役割を多層的に持つことで形成されている存在なのです。その中には自ら選び取ったものもあれば、自分では変えることのできないものもあります。例えば、家業を継ぐことを期待されている人や、優秀な親に期待をかけられプレッシャーを感じている人もいるでしょう。また、長女、長男であることで我慢することを求められた経験を持つ人も少なくないでしょう。どんな人も大小様々な役割を期待されながら生きています。そして、変えることのできない役割との向き合い方に葛藤するエルサの姿に、多くの人は共感を覚えるのです。
 それにしても、エルサの抱えている役割の組み合わせは何とも過酷なものです。王位は初めに生まれた子供に継承させるものであり、適性や当人の希望より優先されます。また、王位を継ぐとなれば、当然さらなる世継ぎを産み育てることも期待されます。エルサが同性愛者だとすれば、いずれその問題とも向き合わなければならなくなるのです。
Tumblr_mx5xtvxmkp1qhiczbo1_500

 

「Let It Go」 失敗から開ける道
 エルサはなんとか無事に戴冠式を乗り越えますが、舞踏会で突然婚約をしたと告げるアナと口論になり、感情を抑えられず魔法を暴発させてしまいます。ついに魔法の存在が人々に知られてしまうのです。危険人物とみなされたエルサは王国から逃げ出し、ノースマウンテンへとたどり着きます。そして、この映画の大きな見せ場であるエルサが「Let It Go」を歌いながら氷の城を建て、独りで生きていくことを決意するシーンを迎えるのです。魔法の存在を知られてしまったのは、エルサにとって人生を揺るがす大きな失敗でした。しかし、その失敗があったからこそ、エルサは自分の生き方を自分の意志で選び取ることができたのです。失敗を前に進むための契機にするという姿勢は、主題歌のタイトルが「Let It Go」であることにも表れています。歌詞も日本語では「もう悩むのはやめよう。ありのまま生きよう」と非常に前向きな印象を受ける訳になっていますが、原語では「知られてはいけない秘密を知られてしまった。でもそれも仕方がない」という、ある種の「諦め」のような印象を受ける表現になっています。「Let It Go」という言葉だけを見ても「自分の生き方をどうこうしよう」という意味はなく、「状況の流れに任せよう」「放っておこう」という意味の表現です。これは古典的なディズニー映画の、例えば「ヘラクレス」のように諦めずに進み続けることを主題とする作品のムードとは大きく異なるものです。アメリカンドリームという言葉に象徴されるような上昇志向が支持されてきたアメリカ社会において、ある意味仏教的な「諦め」をテーマとした映画がこれだけ大きな支持を得たという現象からは、アメリカ社会における人生観の変化を窺い知ることができます。
 そして、同じ曲の中に「Let It Go(放っておこう)」という諦めと「Here I’ll stay(私はここで生きよう)」という決意が同居しているという点も非常に大きな特徴です。自分の意志ではどうにもならないものとの向き合い方を決め、自分の生き方を主体的に選び取るきっかけとなったのが自分の意に反して起きてしまった失敗だったという展開は、まさに「諦め=明らめ」という仏教的な考えを象徴しています。自分の意志ではどうにもならないものは何なのか、それらとどう向き合っていくのかを明らかにすることで、次に進むべき道が見えてくるのです。そこには、努力によって困難を克服し思い通りの生き方を実現しようという人生観とはまた異なる豊かさがあるのだと思います。
20140316_745945

 

誰にとっての「良い子」?
 王国から逃げ出すまでのエルサの人物像を一言で表すなら、「良い子」ほどぴったりくる表現はないでしょう。「Be the good girl you always have to be(いつも良い子でいなくちゃ)」というフレーズは主題歌の「Let It Go」だけでなく、戴冠式を控えた朝に流れる挿入歌「For The First Time In Forever」にも登場します。「良い子」という評価は大人が子供に向けるものです。子供は仲の良い友達や人気者の同級生を「良い子」とは呼びません。周囲の大人の期待に応えるのが「良い子」です。エルサの両親は魔法を隠すことを望み、国民は立派な女王としての振る舞いをエルサに期待しました。エルサは期待に応えようと努力していましたが、それは自分が望んだことではありませんでした。「Don't let them in」以降の歌詞が命令文の連続であったり、「Be the good girl you always have to be」というフレーズの関係代名詞の主語が「you」であることからも、「良い子」であることは他者から求められていたことであり、エルサはその期待を内面化して自分に言い聞かせてきたのだとわかります。
 もし舞踏会での事件が起こらず魔法の存在が人々に知られなかったとしても、エルサは即位後も魔法の存在を隠し続け、人々の期待に応え続けたでしょう。この点が、この映画を単に「同性愛者に勇気を与える物語だ」と評価することがもったいないと感じるところです。エルサは人々に魔法のことをわかってもらおうと主体的に考えていたわけではありませんし、カミングアウトしようとも考えていませんでした。そして「Let It Go」の歌詞に「Turn away and slam the door(顔を背けて扉を閉めよう)」とあるように、自ら再び閉じこもる生き方を選びました。もしこの映画が同性愛だけを主題としたものだったら、自分の城に閉じこもって独りで生きることを決意したシーンでエルサが晴れやかに変身することの説明がつきません。このシーンの主題は「周囲の期待からの精神的な自立」にあるのでしょう。「親からの自立」は英米の児童文学ではよくテーマとして取り上げられます。『真夜中のパーティー』『クローディアの秘密』『弟の戦争』などの作品で描かれる、偶発的にしろ意識的にしろ周囲の大人の期待から逸脱し精神的に自立していく子供たちの姿と自分の生き方を自分で決めたエルサの姿が重なります。閉じこもって独りで過ごすという点ではそれまでと同じでも、自分で建てた城に自分で作った服を着て自分の意志で閉じこもるということには大きな意味があるのです。表面的には「逃げる」「自分の世界に閉じこもる」と他者の目には映るかもしれませんが、初めて自分の意志を持って一歩踏み出したことそのものに意味があるのです。また、これはエルサが21才という人生の序盤での出来事ですから、ここがゴールというわけではありません。「Let It Go」の中でエルサが女王としての役割の象徴であるティアラを放り投げ、きちんと整えた髪をほどくシーンは鳥肌が立つほどカッコいいのですが、それはエルサが周囲の期待を振り払って自分の生きたいように生きることを決意した瞬間だからなのです。
Bde78bdbd25d70fe99d512172b1f8c88_2

 

誰もが完璧じゃない それでいいのさ!
 これまではエルサにばかり焦点を当ててきましたが、他のキャラクターのことも考えてみましょう。もう1人の主人公アナは明るく前向きな人物として描かれています。その反面、ハンス王子と会ったその日に婚約してしまう破天荒ぶりを見せたり、クリストフに強引に道案内させたり、氷の城を見て感動するクリストフに「好きなだけ感動して」と突き放したりと、結構はちゃめちゃな面も持ち合わせています。エルサを山に探しに行こうとする動機も、エルサの安否を気遣うというより、国の混乱を収めようとする正義感から来ているようでした。クリストフは勇敢で優しいのだけれど、人付き合いが苦手な一面もあるキャラクターです。あといつも少し臭いらしいです。そういう負の側面が垣間見られる度、私は「人間味があっていいな」と思いました。いいところもダメなところも1人の中に複雑に混在させているのが人間という存在です。
 心に魔法を受けてしまったアナを助けるために、クリストフはトロールの住処にアナを連れて行きます。すると、トロールたちは孤独に生きているクリストフを気遣ってか、2人を結婚させようとします。そこで歌われるのが「Fixer Upper」という歌です。初めはアナに対し「クリストフは完璧じゃないけど、良い男だよ」と結婚を勧めるのですが、後半には「Everyone’s a bit of a fixer-upper(みんな手直しが少しは必要だ)」つまり「完璧な人なんていない」というメッセージになっているのです。「完璧じゃなくていいというメッセージはアナとクリストフではなくエルサに歌ってやるべきだ」というレビューも見かけました。しかし、エルサは「Let It Go」の中で「That perfect girl is gone(あの完璧な女の子は何処かへ行ってしまった)」と歌い、「完璧じゃなくていい」という答えには自力でたどり着いているのです。エルサの抱えていた問題はとても大きなものだったので、「それとどう向き合うべきか」という問いに至るプロセスもある意味わかりやすいのですが、問題は誰しも抱えているものです。妹には妹の苦悩があり、一人っ子には一人っ子の問題があるのです。観客である私たちも、誰しもが何らかの役割を期待され、大小様々な問題を抱えて生きています。エルサが「Let It Go」を歌うことで「良い子」から脱却する手本を示した後で、「Fixer Upper」によって「次はあなたたちの番ですよ」と脚本家から背中を押されているような印象を受けました。「Let It Go」のインパクトがあまりに大きくて「Fixer Upper」はあまり注目されていませんが、エルサが抱えている恐怖や不安に多くの人が共感するのは、この曲が発するメッセージの役割が大きいのです。
Frozenscreencapsfrozen3603592012795

 

受ける愛から与える愛へ
 トロールはアナが心に受けた魔法を解くには「真実の愛」が必要だと言いました。そこで、クリストフはアナをハンス王子の元へ届けようと奔走します。そこで私は「ここで古典的なディズニー映画っぽい展開に?」と思いましたが、その予想は見事に裏切られました。アナがエルサを身を挺して守ることでアナにかかった魔法が解けるという展開を、いったい誰が予想できたでしょう。しかしこの展開こそがこの映画の評価を大きく高めていることは間違いありません。自己犠牲という表現は少し硬いですが、「真実の愛」が「与えるもの」と定義され、愛を与えた側が救われるという展開は、これまでのディズニー映画には見られなかったものではないでしょうか。また、愛と言ってもいわゆる男女の愛ではない愛もいろいろあるんだというメッセージも、時代を反映していると言えるでしょう。「王子様とキスをしなさい」とは誰も言っていないのです。
Annas_fate

 

後日談が気になる
 アナの愛を受け、エルサは魔法を制御できるようになります。これまでエルサを悩ませてきた魔法は、制御はできるようになっても、消えてなくなったりはしないのです。ただ、危険なものではないと人々に受け入れられます。これも魔法の力=同性愛の暗示だと考えられるのですが、その後エルサはどんな人生を歩み、アレンデール王国はどうなっていくのでしょう。一度国を捨てて独りで生きることを決意したエルサは女王として即位し続けるのでしょうか。世継ぎなどの問題はどうなるのでしょうか。それはアナとクリストフに任せようという解決策もあるのかもしれませんが、実際のところどうなるのでしょう。ストーリーとしては一応大団円を迎えるのですが、解決できない問題も残しつつのエンディングでした。それは「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」という大雑把な締めくくりに比べればだいぶ良い終わり方だと個人的には思います。
Frozen_02

 

 さて、物語の進行に沿ってレビューを書いてきました。「自己犠牲の精神が美しい」「真実の愛は素晴らしい」「同性愛者に勇気を与えた」どれも的を射た感想なのですが、この映画の素晴らしさはそれらの魅力が1つのストーリーに調和して盛り込まれていることです。そして私が特に強調したいのは、アメリカを拠点とするディズニーの作品で「努力で変えられないものといかに向き合って生きるか」というテーマを設定し、「それは特別な問題を抱えた人だけの問題ではなく、みなさん全員が向き合うべき問いですよ」というメッセージを発したということのインパクトの大きさです。いくら社会が自由になったとは言っても、例えば生まれた国、生まれた家の経済状況、人種、性別、容姿など、自分の意志で自由に変えられないものは決してなくならず、誰もがそれらと向き合いながら生きているのです。そして、そのようなメッセージ性を持つ映画が世界中でこれほどの大ヒットを記録したという事実も、変えられるものと変えられないものとを見極め、自分の人生と真剣に向き合うことの大切さを多くの人が認識していることの現れだと肯定的に受け止めたいと思います。
Gallery_05_2


追記 5/6
 すんばらしいレビューを見つけました。私も気になっている「その後」についてとても深い考察をしています。ディズニーのプリンセス・ストーリーの歴史に触れながら、「アナと雪の女王」の「その後」を予想しています。やはりこういった作品は時代を写す鏡のようです。いや~、こんなレビューが書けるようになりたい。
ポストモダンな『アナと雪の女王』の「その後」を予想してみた。

« 需要が枯渇した市場の中で消費することの意味 あなたの欲しいものは何ですか? | トップページ | 「努力が報われる社会」とは言うけれど »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1588989/55873302

この記事へのトラックバック一覧です: 映画評「アナと雪の女王」 変えられないものと共に生きる:

« 需要が枯渇した市場の中で消費することの意味 あなたの欲しいものは何ですか? | トップページ | 「努力が報われる社会」とは言うけれど »

2015年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近のトラックバック