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2014年6月 1日 (日)

お金持ちにもほどがある

 七五調のリズムはとても心地いいものですね。さあ、みなさんも声に出して読んでみましょう。「お金持ちにもほどがある」。今回も所得の適切な分配について考えてみました。割とトンデモ度の高い内容ですが、個人的には悪くないアイディアだと思います。よかったらコメントでご意見ください。

お金持ちと聞いて思い浮かぶ人物は誰でしょうか。私は世界の富豪の人々にはあまり興味がないので「ビル・ゲイツが世界一のお金持ちなんでしょ?」くらいの認識ですが、こちらの記事によると順位の入れ替わりはままあることのようです。

ビル・ゲイツ氏、世界一の富豪に返り咲き 世界長者番付 日本トップは孫正義氏

この記事によるとビル・ゲイツ氏の資産は3月3日の時点で760億ドル(7兆7100億円)ということらしいのですが、数字が大きすぎてわけがわかりませんね。2013年の名目GDPランキング66位のアゼルバイジャンの名目GDPが735,4億ドルですから、人口約931万人のアゼルバイジャン国民が一年間に生み出す価値より大きな資産を保有していることになります。ちなみに、昨年一年間で上位300人の富豪の純資産総額は5240億ドル(約55兆円)増えたそうです(世界の富豪、昨年は資産55兆円増やす-14年も富の集中継続か)。

 そのビル・ゲイツ氏なのですが、最近では自身で立ち上げた慈善基金団体の運営に力を入れているそうです。その財団Bill & Melinda Gates Foundation年次報告によると、2012年には約317万ドルを途上国開発やグローバルヘルスプログラム、国内の教育機関への支援などに充てています。財団の基本財産は約363億ドルで、世界一の規模の慈善基金団体となっています。財団の設立と言えば、ロックフェラー財団を始め、ビル・ゲイル氏の他にも行っている富豪はいますし、様々な慈善活動への資金援助を行う富豪も存在します。それらの行いに対して私は「なんて心の清い素晴らしい人達なんだろう」と思う一方、「こんだけ金持ってんだからこれくらい当然じゃね?」と思う気持ちも抱きます。富豪が慈善活動に資金提供する動機については、税金対策だとか富を独占することへの批判を回避するためだとか、様々な意見が飛び交います。そもそもなぜ多くの資産を保有することに批判が起こるかと言えば、世の中の資源が限られているなか、食うや食わずの人がいる一方で一生かかっても使いきれないほどの資産を持つことを「悪いこと」とみなすことは不自然ではありません。富を独占することへの外部からの批判はもちろん、自身の感じる罪悪感も無視できないのではないかと思います。だからこそ、資産の一部を手放すにしても散財ではなく慈善活動への資金提供という方法を採るのではないでしょうか。というところまで考えて、私はこう思いました。個人が保有する資産や一定期間稼ぐ金額に上限を設けてしまえばいいのではないか。それを超える分は税金として徴収する。累進課税の超強化版といったところでしょうか。個人が富を独占することは問題であると公的に認め、1人の人間が一生のうちに稼いで自由に使える額をあらかじめ決めてしまおうという発想です。資産家の寄付などに関しては、対象となる分野が限定されたり、人の善意に寄りかかって運営していくことの問題点が指摘されていますが、政府が責任を持って必要なところへ再分配する仕組みを作ってみることでその問題も解消できます。しかし、これでは富豪たちへのメリットが全く無いように思いますが、それはもう価値観の転換を図るしかありません。以前に書いた記事で「幸福度=可処分所得×可処分時間」という豊かさの指標を提案しましたが、上限を大幅に超えて稼ぐような人はその分の仕事を他の人に振って、自分は多くの可処分時間を得て幸福を満喫してもらえればと思います。もともとお金をたくさん稼ぐ人は僅かな時間でもお金を生み出すことに費やしたいという考えの強い人も多いでしょうし、価値観の転換は簡単にできるものではないでしょう。しかし、所得の再分配が健全な社会の維持に必要なように、この市場の飽和した現代においてはその制度の改善も必要に迫られているのではないでしょうか。

 続いて、そうして増えた税収をどのように分配するべきなのか、そもそも上限をどのように定めるのかというのをざっくり考えてみたいと思います。結論から言えば、税収はベーシック・インカムの財源とし、その財源を満たすのに必要な額を徴収できるように上限を定めるのです。ベーシック・インカムに関しては実現可能性などに関して疑問は残りますが、最大のネックであった「財源をどうするのか」という問題に関しては、このような確保の仕方もありえるのではないでしょうか。ベーシック・インカムの導入は、以前に他の記事に書いた「市場が飽和し、労働に掛ける労力あたりのリターンが低減してしまう問題」や「衣食住を賄うのに十分な富があるのに働かないと生きていけない仕組みを維持することの非合理」などを解消する優れたシステムだと思います。それにより、極端なお金持ちも極端な貧乏人も存在しない社会が実現するのです。ベーシック・インカムであれば働いた分だけ収入が増え、「福祉の罠」の問題も生じません。人類はこれまで、技術の発達により様々な便利さを享受し、欲望を満たしてきました。そろそろ、社会の健全な維持や人権を毀損してしまうほどの要望の実現を諦める方向に、私たちは努力の方向を転換させなければならないのではないでしょうか。

 今回私の提案したアイディアでは、例えば「民間の宇宙旅行サービスの購入など、高額な資産を保有することで夢を実現させることができなくなってしまう」などの問題も生じます。また、実行可能性の面でツッコミどころもあるかと思いますので、コメントに意見をドシドシ寄せていただければ嬉しいです。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

Q崎様

ここのところ、ツイッターで何度かやり取りをしています、@CBJapan1です。 貴ブログ記事を拝見したので意見を述べたいと思います。

「人の収入上限を決めてしまい、世の中をもっと公平にしよう」 これは大変興味深いお考えなのですが、いくつか重大な問題があります。我々の生活を豊かにしてきた進歩が止まり、急激な後退が始まります。そしてその後には悲劇がやってきます。

利益というものは、一般には「儲け主義、守銭奴、がめつい、ピンハネ、不当」みたいな悪い印象がまかり通っていますが、実は大変重要、かつ有用、かつ必要不可欠な役割を果たします。これが → http://bit.ly/1nEgpbf その役割です。利益があるから進歩があり、幸福がある。利益がなければ進歩はなく、後退と惨めさがあるのみ、と言っても過言ではありません。

金持ちがドデカい成功を収め、ドデカい富を得、絢爛豪華なるその世界を我々庶民に見せつけてくれればくれるほどに、「俺だっていつか!」と野心を燃えたぎらせる人間が沢山出てくる。しかし、いつの世でも成功者はごく一部です。ビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズも何十万人もの野心家達の中のごく一部です。ゆえに、比率から言って「野心を燃えたぎらせる人間」が多ければ多いほどに成功者は多くなり、少なければ少ないほど、成功者は少なくなります。

成功の影には運あり才あり努力あり。成功の影には惨めな失敗がゴマンとあり。しかし彼ら挑戦者を突き動かすのはのは何かといえば、それは他人のドデカい成功とそれがもたらす豊かさ、名声、充足感に他ならないわけです。

成功者は何をもたらすか。我々庶民の生活に便利さと豊かさをもたらします。アイフォン一つで何でも出来る。それはわずか数十年前には考えられもしなかった便利さです。

ちょっと待て!それはきちんと努力をして、有用な商品やサービスを実現した人について言えることだろうが!最初から金持ちの家に生まれるだとか、生まれながらに容姿に恵まれてテレビに引っ張りだこだとか、何の努力もしていない奴が金持ちでいられるなんて不公平だろうが!

実は、そうでもないのです。ここにも書きましたが → http://bit.ly/1A61ydW 今我々が普通に使っているモノは、数十年前は一部の金持ちだけに手の届く「贅沢品」でした。今は誰でも持っている携帯電話もノートパソコンも、はたまた海外旅行も、昔は一部の金持ちだけが持つ、あるいは、することが出来た、「金持ちのおもちゃ」だったわけです。彼らが大枚をはたいて「金持ちのおもちゃ」を買い、試し、不要と判断されたものは廃れ、有用と判断されたものは改良が加えられ、それを見た小金持ちが背伸びしてそれを買い、そうこうするうちに購入量が増え(需要曲線が右にシフトし)、それを見た製造会社は生産キャパを増設して供給を増やし、そのうちに価格が下がり… そして今、我々庶民が持てる道具となったと。

アイフォンという商品が一つあるお陰で、その原材料、資材、製造、保管、物流、販売、修理にいたる様々な分野で雇用が生まれます。これら様々な事業所に出前するベントー屋もヤクルトおばさんも儲かります。彼らが仕事の後で一杯やる居酒屋も儲かります。居酒屋に納品するビール会社も、ビール会社に納品するヒャクショーも、サカナを供給するサカナ屋も、サカナ屋に供給する漁師さんも、皆儲かります。

これは利益の上限が決められておらず、成功すれば成功するほどに青天井の儲け放題だからこそ実現していることであって、利益の上限を誰かが恣意的に決めることで何が起こるかといえば、「挑戦する動機の消滅」に他ならないわけです。上限が決められてしまっていれば、何もシャカリキになって挑戦することはないわけで、「まあ、俺の人生こんなもんだ、頑張ってもしゃあない、適当にやろうぜ」と(そういう生き方が悪いとは言っておらず、それもアリです)。

と同時に、現在の成功者がどういう行動に出るかというと、「守り」に走ります。いままでは儲けに儲けられた。既に自分は自分の努力・運・才覚の成果を摘み取った。しかしこれからは時代が違う。儲けたいほど儲けられる時代は終わった。今までは、儲けた金を投資して、更に金を増やすことを繰り返してきた。それは終わりにしなければいけない。今ある金をいかに守るかが大事だ… すると、新たに事業を起こしたいと思う人がいても、その人に投資しようとする人がいなくなります。新たな投資は減少し、雇用の伸びは止ります。

さらに、「この様子だと、下手をすると今まで儲けた金を過去に遡って徴収されかねないゾ」となり、金持ちの海外逃亡が始まります。これは架空の物語ではなく、実際に世界各地で起きている実話です。フランスではつい最近、大富豪がロシアに移住・帰化してニュースになりました。

金持ちが投資をするのをやめ、さらに逃亡すれば、イの一番にあおりを食うのは誰か。他でもない、ベントー屋さん、ヤクルトおばさん、そして居酒屋です。そして、その影響は徐々に徐々に広がり、会社員・サラリーマンとして何となくミドルクラスを意識している大多数の人々にも大波が押し寄せる。そのときにはもう手遅れです。我々の多くが困難に直面することになりますが、貧困者や弱者こそが最も手痛いダメージを被ります。

人の収入上限を決めよう。それは決して不可能ではありません。過去にそれは実践されました。ソ連をはじめとする共産圏の各国でそれが大々的に行われました。スラブ系、ラテン系、中央アジア系、中華系、朝鮮系、南アジア系、それぞれの土地柄・民族性でスタイルは異なりますが、一つ共通することがあります。それは「人の収入上限を決める」には非常に強大な中央集権体制を必要とし、権力の集権化と集権化された権力の行使において、生の暴力が使われてきたという事実です。

「人の収入上限を決め」る過程で多くの人命が失われました。 共産主義の犠牲者は1億人以上といわれています → http://bit.ly/1nEgITB

我々は、果たしてこの実験を繰り返す必要が、あるのでしょうか。そして、繰り返してよいのでしょうか。

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