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教育

2013年6月 1日 (土)

「先生!学校での経験が社会で役に立たないのはどうしてですか?」「それは、学校運営を成り立たせるためのルールが多すぎるからだよ」

 今回は労働の話題ではありません。私が教員として勤めていた経験を通じて考えた学校教育の問題点について書いていきたいと思います。もちろん、学校教育は大人になってから様々な場面で能力を発揮する能力を身に付ける場としての役割があり、労働とも関連のある分野のものです。今回はその接点に焦点を当てて考えてみたいと思います。

 よく「学校での勉強は社会で役に立たない」という表現での学校教育批判を耳にすることがあります。まず、この場合の「社会」とは多くの場合職場を想定して使われることが多いですが、私はそのような範囲を限定した「社会」「社会人」という表現は正しくないと思っています。この記事では、学校を卒業したのちに属する可能性のある場を全て含めて「社会」という表現を使用したいと思います(本当のところ「学校も社会の一部だろ」と思っていますが、ここでは便宜上学校と「それ以外」に分けて考えたいと思います)。そのような批判に対しては様々な反応があり、なかなか1つの結論を導き出すのは難しいものです。この記事では教科ではなく、教科指導などの様々な教育活動を行う上で前提となっている学校のルールについて、その問題点を明らかにしていきます。

 学校のルールというと、校則として明文化されたものから、当然のものとして明文化されていないものまで、様々なものがあります。みなさんの中にも、何のためにあるのかわからない校則に理不尽さを感じた経験がある人も多くいると思います。例えば、多くの学校では髪を染めることを禁止していたり、登校時の髪型に決まりがあったり、スカートの丈に決まりがあったり、身だしなみに関するルールもたくさんあります。ある一人の生徒が学校生活を経て社会に出て行くにあたり、髪を染めたかどうかということがその生徒の人生にそれほど大きな影響を及ぼすとは思えません。これらのルールは生徒の人生を良くするという点に主眼を置いたものではないと言えます。
 では何のためのルールなのでしょうか。それは、学校を荒れさせないために存在するルールです。極端な話、身だしなみに関するルールのない学校と、細かく決められている学校のどちらが荒れやすいかと考えれば、やはり前者のほうが荒れやすいでしょう。また、「派手になり過ぎない程度なら染めてもいいのではないか」といった議論もあると思いますが、そのラインをどこに引くかということを突き詰めていくと、結局「まったく染めてはいけない」という結論に行きついてしまいます。それは、生徒の自由や多様性を受け入れるのに必要となるコストを負担する余裕が学校にないからです。なぜ余裕がないのかと言えば、その最大の原因は現場の教員が生徒と直接関わる時間が不足しているからです。日本の教員の勤務実態は、事務作業にかかる時間が長く、生徒と十分に関わることができない問題点が指摘されて久しいですが、その弊害は様々な形で表れています。校則に関して言えば、やはりなぜそのルールが必要なのか、生徒自身に考えさせ、納得をしたうえで受け入れることが、教育的なプロセスと言えるでしょう。それでも繰り返しルールを破ってしまう生徒には、根気よく向き合い、どうしてルールを守る必要があるのかを伝え続ける必要があるでしょう。その労力が「生徒の自由や多様性を受け入れるのに必要となるコスト」です。しかし、現実の教育現場にはそこまでの余裕がありません。人手と時間が圧倒的に不足しています。そうして、「ルールなのだからとにかく従いなさい」という指導をせざるを得なくなってしまいます。
 教員の中には「校則にはルールのためのルールという性質もあり、とにかくルールを守ることを習慣づけることが目的なんだ」と説明する人もいます。私はその意見には反対です。それでは条件反射的にルールに従うだけの思考停止を招くだけであり、到底教育的であるとは言えません。「ルールのためのルール」「合理的でないルール」など、教育という観点からは害悪でしかありません。学校教育に必要なのは、生徒が考え納得する時間と状況を十分に確保できる条件を整備することなのです。「荒れさせないためのルール」を生徒に押し付けるのではなく、生徒の自由や多様性を認めても荒れない条件を確保することなのです。

 もう一つの問題点を指摘したいと思います。ルールではありませんが、「荒れさせないためのルール」と同じような影響を生徒に与えてしまう仕組みが学校には存在します。それは、「生徒の失敗を許さない制度」です。やはり、人が能力を身に付けていく過程では、根気よく試行錯誤を繰り返し、失敗を重ねながら目標に近づいていくことが求められます。しかし、学校には生徒が入学した段階からある程度のクオリティを求められていることがあります。その最たるものが掃除であると私は思っています。なんだ、掃除くらい簡単なものじゃないかと思う人もいるかもしれません。しかし、学校での掃除の目的は掃除のテクニックを身に付けることではありません。掃除の目的は自分たちで使う公共空間を自分たちの手で整備しようという姿勢を身に付けることの実践なのです。これはかなり人間としてレベルの高いことだと思いませんか?大人だって、自ら進んで公共のためになることをする人はかなり稀有な存在だと思います。ただ、学校教育を通してそういう人間を育成しようという理念自体は大変すばらしいことですね。しかし、やり方がまずいのです。それほどレベルの高いことですから、「できない」状態から「できる」状態まで試行錯誤を繰り返し近づいていくのが理想です。問題は、掃除に関しては入学した時点からある程度のクオリティを生徒に求めてしまうことにあります。教室環境の乱れは、即荒れにつながります。掃除が行き届いているかどうかが、生徒の学習能率や生活態度に与える影響は大きいものです。ましてや、それが学校という大人数で行動する場であればなおのことです。なので、教員は生徒に掃除で結果を出すことを求めざるを得ません。すると、掃除の目的はいつのまにか「生徒に公共空間を大切にすることを学ばせること」から「生徒に教室を綺麗にさせること」に移り変わってしまいます。生徒が同じ「掃除をする」という行動をとっていても、「自分たちの使う教室だから綺麗にしよう」と思っているか「先生に怒られないように綺麗にしよう」と思っているかでは、教育的な効果がまるで違います。
 掃除に関しては、ある時点でうまくできなくても、根気強く自分たちの手で学校を綺麗にすることの素晴らしさを説き、「次はもっと綺麗にできるといいね」と励まし、できなかった部分をカバーするのは職員の仕事とするのが良いと思います。その方が、生徒が卒業する時点で、本来目指していた「公共空間を自ら大切にする人」の姿に近くなっているでしょう。

 「荒れさせないためのルールや仕組み」は当然学校の外では意味を持ちません。そのため、真面目で「いい子」と褒められていた人ほど、学校と社会の評価基準のギャップに戸惑います。「40人の生徒を1人の教員が指導する」という条件の下で指導の効果を最大化するようにデザインされている学校というシステムが、社会の中でかなり特殊なものであるということなのでしょう。「学校の常識は社会の非常識」という揶揄も、ある程度的を射ていると言えるでしょう。では、学校はどのように変わるべきか、私たちは生きていくためにどのような力を身に付ければいいのかということについては、また別の記事で書いていきたいと思います。

2011年12月23日 (金)

「教員ユニオン」構想

 前回の記事の最後で触れましたが、私は既存の教職員組合に代わる教員のための労働組合が必要だと考えています。というのも、教職員組合の加入率は低下し、社会への影響力及び教育現場を変える力が弱まっているからです。教職員組合には日本教職員組合(いわゆる日教組)、全日本教職員連盟など様々な団体が存在しますが、ここでそれらの組織について詳しく書くとかなり長くなってしまいますので、関心のある方はググってください。とりあえずこの記事では、それらの組織をまとめて「既存の教職員組合」と表記します。

 私が考える「既存の教職員組合」の持つ問題点は以下の4つです。
 ①労働組合であるはずが、活動内容が多岐にわたり、結局何をしている団体なのかよくわからない。
 ②政治色が強く、そこに賛同できない職員の支持を得られない。
 ③活動の意義への理解を広く求めるPR活動をしていない。
 ④加入してもメリットがない(組合員としての仕事が回ってくることがあり、組合費を払う上にかえって忙しくなる)。

これらの問題点を考慮し、純粋に労働問題のみを扱う教員のための労働組合の理念を考えていきたいと思います。

「教員ユニオン」活動方針
 ①団体交渉、労働相談など、労働に関する問題のみを扱う。また、同様の方針を持つ団体としか関係を持たない。
 ②政治的な中立を保つ。
 ③活動の意義への理解を広く求めるPR活動を行う。
 ④教材・教具の共有化、勤務形態や働く上での工夫などの情報の共有化を行い、業務の効率化を図る。
 ⑤組合としての業務は執行部が行い、組合員に仕事を回さない。

これらの方針を具体化するための計画を以下のようにまとめました。
①、②:すでに活動を行っている組織(日本労働組合総連合会首都圏青年ユニオンなど)のノウハウを学び、労働組合としての基本的な活動を行うことを目指します。
③:機関誌の発行を考えています。機関紙ではなく、機関誌です。機関誌といっても、既存の組合が発行しているような堅苦しいものではなく、DIME(ダイム)やKu:nel(クウネル)のようなポップな雰囲気のあるものを目指します。コンテンツは以下のようなものを考えています。
 ・活動報告(団体交渉の経緯、教育現場の実態調査など)
 ・組合員からの投稿(多忙化解消への思い、現場の実態、教育にかける思い、教育行政への要望など)
 ・一般読者からの投稿(教育現場、教育行政への意見、要望など)

 ・労働や教育の専門家のコラム
 ・勤務に役立つグッズの紹介
 ・美男・美女教員の巻頭グラビア(?)
④:ユニオンのホームページを開設し、共有化のためのデータベースを作成する。組合員にはIDを発行し、ログインすれば投稿された教材、教具、指導案などの資料を無料でダウンロードできるシステムを作ります。組合費の振り込みをオンラインで行う、定期報告を回覧ではなくメールマガジンで行うなどの工夫をすれば、全国どこに勤務していても個人単位での加入が可能になります。

 勘の良い人はお気づきでしょうが、この「教員ユニオン」は若年層を主な対象にしています。というのは、ベテランや中堅の先生方はこれまでのハードな勤務を自力で乗り越えてきた人達であり、ユニオンの必要性を感じないと思われるからです。私は、多く存在するであろう、高い理想を持ちながらも理不尽な勤務形態に耐えられずに現場を去らなければならなかった教員、そして日々の業務に忙殺され理想の実現に到底手が回らず歯がゆい思いをしている教員の悔しさを放置したくないのです。また、教員の多忙化の解消は学校教育の健全化、質の向上に必ず結びつくはずです。単純に考えて、少なくない同僚が精神疾患を患うほどの環境で働いている教員に健全で効果的な教育が望めるでしょうか。その上、どんな業種であっても現在働いている人たちの勤務実態を改善しなければ、これから社会に出ていくであろう子どもたちもまた同じ苦労を味わうことになります。1人1人の生徒・児童にしっかり向き合いたいという教員の想いを実現し、誰もが人間らしく働くことのできる社会の実現のために、「教員ユニオン」の設立を目指して行動していきます。

2011年11月17日 (木)

人権講話「労働者の権利」

 これまで学校が行ってきた人権教育は、いわゆる社会的弱者、マイノリティの権利を扱うものがほとんどでした。もちろんそれも大きな意義があるものですが、人権とは本来誰もが当たり前に持って生まれたものです。マイノリティだけの問題ではありません。ですので、私はあえてマイノリティの問題に限らず、誰もが当事者となり得る話題をもっと取り上げるべきだと思っています。

 私が勤務する中学校では、学期に一度の全校集会にて人権講話を行うことになっています。そして、その全校集会が行われるのは、この11月の下旬。担当するのは私の同期。もちろん「原稿書かせてくれない?」とお願いしましたよ。その人も激務に苦しむ教員の1人ですので「正直助かる。」と快諾してくれました。さて、私が他人の口を通して生徒たちに伝えようとしていること。それはもちろん労働者の権利です。ここでいろいろ説明するのも面倒なので、ここに講話の原稿を全文載せるという暴挙に出ることにしました。できたてホヤホヤの原稿です。

今日この時間にお話しするのは「労働者の権利」のことです。労働者とは、企業を経営する人と契約を結んで働く人のことを指しますが、多くの人は生活に必要なお金を得るために労働者になります。みなさんはまだ中学生なので、労働者の権利ついて知っても仕方がないと思うかもしれません。しかし、中学を卒業すればアルバイトをする人もいるでしょうし、就職して働き続ける人もいます。また、みなさんの生活を支えるお金はみなさんのご家族が働いて得たものがほとんどです。つまり、働くということは、生まれた頃からみなさんの身近にある問題なのです。

 なぜそれをみなさんにお話しするかというと、現在、多くの労働者が労働者の権利について知らないために、労働の現場で様々なトラブルが起こっているからです。みなさんが近い将来働き始めたときに、トラブルに巻き込まれないよう、今のうちにしっかり勉強しておいてほしいのです。

 具体的にどんなトラブルが起きているか、いくつか紹介したいと思います。まず1つめは不当な解雇です。解雇とは、会社が社員を辞めさせることですが、本来はそれにはいくつもの条件が必要になります。会社の経営がうまくいかずどうしても社員を減らさなければならなかったり、その社員が会社の不利益になることをしたり、そういう場合にしか会社の都合で社員を辞めさせてはいけないという法律があります。しかし、実際には社員に払う給料を節約するために社員を辞めさせてしまうことがあります。そして、辞めさせられた社員もそれが法律に違反することとは気付かずに、会社のいいなりになってしまいます。また、法律に触れずに社員を辞めさせるために、社員に嫌がらせをし、自分から辞めるように仕向ける場合もあります。会社で立場が上の人が、その立場を利用して仕事を押し付けたり、嫌がらせをすることをパワーハラスメントといって、大きな社会問題になっています。そのパワハラに耐えられず、自分から辞めてしまう人が少なからずいるのです。

 次に紹介するのは残業代の不払いの問題です。多くの職場では、働く時間は8時間と決まっています。それを超える時間の勤務には、通常の給料より高い給料を上乗せして支給されると法律で決まっています。しかし、日本の多くの職場では、その上乗せされる給料が支払われないことが当たり前のようになっています。これはとっても不思議なことで、本来もらえる給料をもらえなくても放っておいてしまう労働者が多く存在するということです。

 もう一つの問題は過労、働きすぎの問題です。この国では他の先進国に比べて残業時間が飛びぬけて長く、人生の多くの時間を労働に費やしています。日本人は働き者だと前向きに評価されることもありますが、実際には健康を犠牲にしてまで働かなくてはならない人が少なからず存在し、問題となっています。長時間働きすぎた結果、心臓疾患や精神疾患に罹り、命を落とすケースもあります。今や「過労死」という言葉は、日本の異常な働き方を表す言葉として、世界中に知れ渡っています。2005年には、869件の過労死の申請がありました。会社には、社員が安全で健康に働けるように環境や条件を整える責任があると法律で決められています。しかし、それが守られず、社員に支払う給料を節約するために少ない社員に多くの仕事を押し付け、社員が働き過ぎで疲れきっているという職場が少なからず存在します。

 さて、ここにいるみなさんがそんな目に遭わないようにするにはどうすればよいでしょうか。まず、会社が法律に違反しても、被害に遭った社員が行動を起こさなければ、違反はなかったことになってしまうということを、覚えていてください。法律はただあるだけでは意味がなく、それを正しく活用することで初めて効力を持つのです。では、もしみなさんが働き始めてから、労働者の権利が犯されるようなことがあったらどのように行動すればいいのか、考えてみましょう。

 一つは、法律の専門家に相談することです。弁護士の団体に相談し、残業代が支払われたり、解雇が取り消されたりしたケースがあります。職場でのトラブルの相談を専門に受ける団体もあるようです。もう一つは、公的な相談機関を活用することです。会社の経営が適切に行われているかを監督する機関や、法律の専門家を紹介してくれる相談センターなどが各地にあります。

 具体的な手続きの方法を紹介するには時間が足りませんが、会社からの要求があまりにも大変なもので困ってしまったときに、我慢して従い続ける必要はないということだけは覚えておいてください。適切に考え、行動することで、自分の生活を守ることができます。そのために、今は情報を正しく身につける力を養っていってほしいと思います。

 本校の人権講話は、1人の教員が全校生徒に持ち時間5分で語るという乱暴なスタイルをとっています。なので、情報を短い文章に凝縮しなければなりません。とりあえず、上からの決定に無批判に従うのはいけないというメッセージが伝わればいいと思います。ご感想、改善点などありましたら、コメントにてお願いします。

 職場でのトラブルに見舞われた際の具体的な対処法については、こちらのサイトに非常に詳しく載っていますので、よろしかったら参考にしてください。

労働基準法違反を許すな!労働者

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